2010年8月13日金曜日

向島・見番通りをお客の態で歩く。


皆様「見番」て知っていますか?年配の方ならご存知でも若い人は知らないかも?辞書によると「見番」とは料理屋・芸者屋・待合の業者が集まってつくる三業組合の事務所の俗称。また、近世、遊里で芸者を登録させ、客席に出る芸者の取り次ぎや玉代の計算などの事務を扱った所。(大辞林)とあります。ここ向島の『向島墨堤組合』は昭和61年に芸妓組合、料亭組合、料理店組合が合併し見番(向嶋墨堤組合)として現在に至りますが、主な業務は料亭への芸妓の手配、料亭の予約手配、置屋、他花街の統括管理が主となるそうです。また芸妓の育成、お稽古等伝統文化継承の重要な役割をも担っています。私達一般人にはあまり馴染みがありませんが重要な組合の様です。因にこの前の道を「見番通り」と言います。日頃は縁がありませんがこの日は「見番」を利用している客の態で見番通りをゆっくり歩いてみました。

2010年8月12日木曜日

勝海舟も修行した弘福寺


言問団子をたらふく食べて少し歩き出すと、夕日に照らされた重厚感漂う山門を発見した。名前を見ると「弘福寺」とある。境内に入り本堂を見ると更にその存在感に驚嘆する。頭の中で「これだけの造りでさぞや歴史あるお寺」と囁く。この「弘福寺」は隅田川七福神のひとつで、黄金に輝く布袋尊像が奉られていると言う。また若き勝海舟もこの寺で修行し、森鴎外の墓も関東大震災前まではここにあった。「凄い!」。境内で辺りを見回すとお約束の東京スカイツリーも見えている。古い建築物に新しいタワーの組み合わせだが、あまり違和感が無い。この寺、墨田区登録文化財でもあるそうだ。

2010年8月11日水曜日

花より言問団子


墨堤通りに戻り、暫く歩くと首都高速の高架と隅田川の堤が見えて来た。その手前に鉄筋2階建ての建物を発見「おやっ、あの暖簾は何だ?」と近づく。暖簾の右から「言問団子」の文字を認める。「あっ、ここが有名な言問団子だ!」と思わず叫んでしまった。「言問団子」の名前は子供の頃から知っていて、今はたまにデパート等で購入する事があるが、これがまた美味い。因に「言問団子」は江戸末期創業でその味は現代でも脈々と受け継がれ多くのファンがいる。店内に入ると「言問団子」と関わりのある多くの記念品が展示されている。その展示物のひとつに、中心に書かれた「花より団子」を囲む様に多くの文人達が署名した色紙を発見。「言問団子」は歴史ある店だと再認識。どちらかと言えば私も花より団子なので「お団子下さい。」と多めの団子をほおばる。暑い日の熱いお茶と団子の組み合わせは最高で疲れた身体がパワー一杯に回復しそうな気になる。また歩き出すぞ。

2010年8月10日火曜日

向島の路地尊。


鳩の街通り商店街の細い道からちょっと折れた処に「路地尊」なる井戸と木の樽(?)の一対なる物体を発見。みなさん「路地尊」てご存知ですか?「路地尊」とは家の屋根に降った雨を地下の雨水貯留槽にため、手押しポンプで汲み出して利用するシステムの事です。因みに路地尊は墨田区の一寺言問地区で防災まちづくりに取り組む『一寺言問を防災のまちにする会』によって考え出されました。路地尊には、「災害時には避難路になり、通常は地域の広場になる路地を尊ぼう」という、防災まちづくりの住民の思いが込められているそうです(墨田区資料より)。如何ですか?ありそうでなかなか無い宝物を見つけた様です。是非皆様一度お立ち寄り下さい。因に水が出るか確認しようとポンプを何回か動かしましたが水が出ませんでした。丁度通りかかったおばあさんが「水をだすにはこつがいるんだよ。」との事でした。有事の時に大丈夫なのかな?

2010年8月9日月曜日

昔の面影、鳩の街通り商店街。


白髭神社を後にして、墨堤通りに出て隅田公園方面に足を進める。途中以前から聞いていた下町のきび団子屋「吉備子屋」に立ち寄るも残念ながら休業日だったので無念の通過となる。右手に首都高速入口を認めここを左に折れた細い道の商店街に入り込む。ここが80年以上の歴史がある「鳩の街通り商店街」だ。この商店街は戦災を逃れたため、昭和初期の木造建築が沢山残っている。お風呂屋さんや古い商店の建物を観察するだけでも楽しい。また昭和20~30年代は赤線地帯としても知られていたので当時の様子を想像しながらこの細い道を歩いているととても不思議な気持ちにもなってくる。途中代々続いた写真館をけがの影響で廃業した写真師(敢えてこう呼ぶ)とのお話が出来たが、この古き商店街も徐々に様変わりして、ギャラリーや工房など若い人達の活躍する場所にも変わってきたと、ちょっと嬉しそうにそしてちょっと寂しそうに話してくれた。ちなみにこの商店街の動画を下町・界隈シリーズの「向島・業平・押上界隈」に入れるつもりですが、ちょっと忙しく未だ先になりそう。是非見たいという方は下記のユーチューブにアクセスして下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=OnejFLiKKoY

2010年8月6日金曜日

白鬚神社の黒人塚。


白髭神社へは向島百花園から徒歩で5分と掛からない。途中の古い家並みをウオッチングしながら境内に入る。もともとこの近辺はは緑の多いところだが境内は更に沢山の木で森を作り出している様だ。白髭神社は江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の分霊としてお祀りしたのが向島鎮座・白鬚神社の始まりだそうです。主祭神の猿田彦大神様は、古事記や日本書紀などによれば、正しい方位を示す国土開拓の神とされています。これにより人を正しく導くことが叶うと旅立安全・交通安全・商売繁昌・方災除の神として広く信仰を集めてもいるそうです。境内を歩くといろいろな碑や塚が在りますが、まずビックリして注目したのが「黒人塚」。異人塚でなく何故黒人と細分しているのだろう?と考えてしまうのが教養の無い私でした。これは浜辺黒人という狂歌師の名前だったのです。相変わらず日差しが強烈に差し込んでいるが、境内は緑に守られているのでやさしい陰を作ってくれている。ここから歩き出すと強烈な日光の餌食になりそうだが、いつまでもここに居るわけにはいかない。大きく深呼吸をして境内を出た。

2010年8月5日木曜日

昭和と平成が混在する町並み。


向島百花園を出ると「白髭神社」の案内看板を見つけ歩き出す。少し歩き出すと昭和30~40年代へタイムスリップした様な光景が連続して目に飛び込んでくる。何処か懐かしい木造モルタルのアパート。自動販売機さえ無ければ昔のままのイメージの銭湯。夫婦2人で営む小さな町工場。「未だこんなところが残っていたんだ」と何故か妙に頷いてしまう。木造モルタルアパートの2階に続く階段付近には複雑に植物が寄生しているようで2階の一部屋を被っている様子だ。雨トイの一部が落下して屋根からぶら下がっている。「人が住んでいるのかな?」と階段から覗き込むと確かに誰かがここで生活をしている匂いが漂ってくる。「どんな人が住んでいるんだろう?」と無性に住人の正体を知りたくなる気持ちを抑えてゆっくりと歩を進める。「確かに昭和を歩いている。」心の中もう一度つぶやく。もう一度辺りを見回す。昭和の街のそれほど遠くない場所に東京スカイツリーを認めた。昭和と平成が混在するここ向島百花園界隈の町並。今度またゆっくりと訪ねてみようと言う気持ちになるが、今度来る時にはどのようにこの街が変わっているのかちょっと想像がつかない。「さあ白髭神社を目指そう」。

2010年8月4日水曜日

一時の涼を味わう向島百花園。


向島百花園に着いた。東向島の駅から以外と近い事を認識した。実は今回が初向島百花園でどんな庭園か?と期待しながら150円也の入園券を購入した。東武博物館と違ってこちらは以前より名前は知っていたがその沿革は知らなかった。案内板から向島百花園は仙台出身の骨董商、佐原鞠塢が「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し文化2年(1805年)に開園した庭園で360本もの梅の木を植えたことから「新梅屋敷」「花屋敷」とも呼ばれていたそうだ。文化6年頃より「百花園」と呼ばれるようになり、江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され「百花園」の命名者である絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らが居たと言う。当初は梅園として営まれたが園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培し園内には多数の野草が植えられて特に秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。また池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名との事だ。相変わらず日差しが強いが緑が多く、木陰もあり涼しく感じる。丁度朝顔の展示準備をしているボランティアの方々が水やりに精を出しておられ夏の日の光景をスナップする。園内を歩くと案内板の通り、詩歌を記した石碑が多く点在していて、その形や大きさの違いも認めて飽きがこない散策を楽しめる。ただ石碑の詩歌をそのまま読む事の出来ない自分にちょっとがっかりする。散策に手頃な広さの向島百花園を出て次は何処を目指そうか・・・。

2010年8月3日火曜日

これが記憶の『特急列車・けごん』。


下町・界隈シリーズの「向島・業平・押上界隈」の取材で東武伊勢佐木線の東向島駅に降り立った。午後三時を過ぎているのに強烈な日差しは容赦なく全身を攻撃し、それに反応するかの様に「もう勘弁して下さい」と汗が沢山の白旗を揚げている。今年の夏はあまりにも暑い夏だ。気を取り直し「よ〜し、頑張るぞ!」と歩を進める。『何だ!これは!』子供の頃の記憶にある『特急列車・けごん』の車体が目に飛び込んで来た。残念ながら汽車・列車・電車の種類には詳しくないがこの車体には記憶がある。調べてみると、これは1720系DRC型で1960年に東武鉄道が投入した浅草〜東武日光間を走った当時のエース特急で営業最高速度が110Kmだったそうだ(間違っていたらごめん)。問題は何故こんなところにこんな列車があるかである?実はここ東向島駅に隣接して東武博物館があったのだ。同博物館のホームページの挨拶を流用すると『東武鉄道は1897(明治30)年の設立以来、人とものを乗せ、夢と文化を運ぶネットワークとして、今日まで発展してきました。その創立90周年を記念して、1989(平成元)年5月20日にオープンしたのが、「東武博物館」です。』とある。更に『館内を8つのコーナーに分けて構成。東武鉄道の歴史や文化・役割を紹介しています。郷愁を誘うダイナミックな蒸気機関車をはじめ、実物車両や記念物などの貴重な資料を展示している一方で、交通のしくみを実際に見て、触れて、体感できるようシミュレータや実物機器を設置しました。また、博物館の真上を走行する車両を至近距離から観察できる、立地を活かしたコーナーも設けた、まさにリアルタイム感覚で楽しめる体験型のミュージアムです。』とある。東京に長く住んでいたのに、なんて無知だったろう、今日のこの日までこの存在を知らなかった。「東武鉄道さんごめんなさい」今度、時間のある時ゆっくり見学に来ますから。後ろ髪を引かれる思いで向島百花園に向かって歩き出す。

2010年8月2日月曜日

400m超えの東京スカイツリー。


みなさん、2012年に完成する東京スカイツリーの高さを知っていますか?「634mですよ!」本当に高いですね。先週の新聞で工事で暫く足踏みしていた高さが400mを超えたと報道されていました。昨日400mの高さを確認しようと出掛けたついでに東京スカイツリーに立ち寄って来ました。日曜という事もあり現地は人、人、人。本格的に一眼デジタルで撮る人、コンパクトデジカメで撮る人、携帯電話で撮る人と皆さん一様にカメラで400mを記念撮影している。ただこの日の東京地方一面にガスが掛かっている様子で、撮影した東京スカイツリーの下層部分と400m付近ではガスの濃度が違うらしく上層部はぼやけて見える。よく高い山の麓に立つと雲で頂上が見えない事がある。これから更に高層化するタワー、建築物にもこの様な現象が予想される。634mになったら天気の悪い日はてっぺんが見えないのは当たり前になってしまいそうだ。因にスカイツリー工事現場の下層には現在の高さがリアルタイムで表示されている。「408m」。今度訪問する時は何メートルになっているのだろう。