2011年5月30日月曜日

今年も雨の中の東大五月祭でした。


東大五月祭に出かけてきました。前回も書いたように私の記憶の中ではこの東大五月祭は毎年雨のイメージがありましたが、今年もやっぱり雨でした。雨の中東大生が作って売るフランクフルト、たいやき、ちじみ等の模擬店テントが立ち並び、威勢良く呼び込みのかけ声が聞こえています。う~む、雨を感じさせない人の出だ。また昨年は矢沢永吉のライブが開催された安田講堂前のステージは東大生のバンドなのだろう大きなボリュームで演奏を行っていた。この五月祭の為にプレハブまで建てて何日も前から準備を行っていた東大生の姿を見ているので、何とか「晴れの五月祭」になって欲しかったものである。来年こそは「晴れ」を祈りましょう。

2011年5月27日金曜日

28〜29日と東大5月祭が始まります。


昨日、ウッチ君を連れて夜の東大構内を散歩しました。東日本大震災直後は真っ暗になっていた東大構内ですが、あちこちの研究室にも明かりが灯り通常に戻りつつあるようです。そんな東大構内ですが中央図書館前がやけに明るく何人かの作業する人がいます。近づいてみると「あっ、そうだ!東大5月祭の準備だ!」と気づきました。毎年のようにこの時期には5月祭の準備プレハブ小屋が建ち学生達が一所懸命に看板や木造造作物の製作を夜遅くまで行っています。時計を見ると22時30分です。「何時まで掛かるのかな?」と多少心配にもなります。東大5月祭とは毎年5月末に本郷キャンパスで開催される東京大学全学の学園祭です。秋の学園祭シーズンとは外れた時期に開催されるために注目度も高く、参加団体は約400、来場者数は7万人以上と規模においても全国屈指の学園祭とのことです。昨年は一般ニュースでも紹介されましたが矢沢永吉のライブショーまでありました。今年は5月28〜29日に開催されますが、ちょっと心配なのがここ何年かは雨にたたられせっかく学生達が何日もかかって作った造作物がいつもびしょびしょになってしまうことです。天気予報によると今年もやっぱり雨が・・・・。

2011年5月25日水曜日

無縁坂からの東京スカイツリー完結編。


以前のブログでも紹介した無縁坂からの東京スカイツリーの眺望ですが、スカイツリーが最高到達高度になってから久しぶりに無縁坂を訪ねカメラにおさめてみました。東京大学の龍岡門から不忍池に通じる無縁坂は森鴎外の「雁」やさだまさしの歌にも紹介されている有名な坂で、歩いていると何とも言えぬ風情を感じることができます。特にこの坂を通る度に「雁」の主人公になった様な錯覚をも感じてしまいす。そんな風情のある坂の風景に日本一高いタワーが出現したのですから、ちょっとイメージが変わったと感じてしまいました。急激に変貌する東京に下町地区はやや遅れていた感がありますが東京スカイツリーの出現でその歩みを早めること思います。

2011年5月24日火曜日

有楽町マリオンのからくり時計をじっくり観察。


今日も銀座ネタをひとつ紹介します。皆さん晴海通りに面した有楽町マリオンのビル壁面の時計をご覧になったことはありますか?実はこの大きな時計は正時になると時計がせり上がり中から可愛い金色の音楽隊が現れやはり金のパイプを叩きながら演奏を始めます。銀座には公私で良く出かけますので、もちろんこのからくり時計のことは知っていましたが実際に作動したのは見たことはありませんでした(動き出しても通り過ぎていました)。今回はどの様な心境の変化があったか自分でも解りませんが3時の動き出しから、からくりが終了する3時3~4分まで、じっくりとその動きに注目してしまいました。辺りにも沢山の人が集まり気分は観光客になりきりです。因みにこのからくり時計は1984年完成で外観は懐中時計をモチーフにしているとか。またクリスマスシーズンになると演奏するこびとさん(?)がサンタクローススタイルになるなどの噂もあります。時間のあるときに是非立ち止まってじっくり眺めて下さい。

2011年5月23日月曜日

銀座にある昭和時代のガード下。


旧富士フォトサロンのあった銀座ファイブの道路向こうに怪しげなガード下の飲み屋さんが何軒かある。周りの景色から例えれば1絞りぐらい暗い感じのこのガード下には昔の看板やポスターなどが貼られ、そこはまるで古き昭和の時代の様相である。「トリスバー」「ミルクホール」「ビフテキ」「ハイボール」など何故か心地よい昔を連想する文字看板を見つけることも出来る。極めつけは大村崑のオロナミンCの看板である。そう言えばこんな光景を日常的に見ていた記憶が甦る。ブランドビルが建ち並びオシャレな人々が闊歩する洗練された街・銀座にもこのような場所があることにちょっとホッとしてしまった。今度一度この中の店に入ってみよう。

2011年5月18日水曜日

アンセルアダムス写真集を大江戸骨董市でゲット!


東京国際フォーラムで開催されていた「大江戸骨董市」に立ち寄りました。「大江戸骨董市」とは、江戸から東京へと移り変わる中で歴史や文化を振り返る時、さまざまな匠たちが残した技をこの市に見いだそうとのことで定期的に開催されています。この後も6月5日、19日、7月3日、17日と続きます。会場を回ると刀の鍔や浮世絵、着物など珍しいものばかりで楽しませてくれます。中には古い写真やカメラもあり、丁度上京してきた地方の写真展館主が古い写真を10点買っているのを目撃しました。ぶらぶら歩いていると古い書籍を扱っているブースの中に「Yosemite and the Range of Light」と言うアンセルアダムスの写真集を発見。何と500円です!これは買わなくてはと即購入。アンセルアダムスとはゾーンシステムという階調豊かなモノクロプリント技法を考案実践したアメリカの写真家で、以前(20年前以上)小田急デパートで開催された写真展で1枚のモノクロプリントに500万円という値段が付いた芸術性の高い写真を残した方なのです。写真集に貼ってあった古いプライスシールから三省堂で6120円で売っていた事が判明しアンセルアダムスの写真集に出会えたことと超スペシャルプライスの2つに大感激な1日でした。

2011年5月16日月曜日

東大生が作るラーメン店が出現。


本郷3丁目はラーメン激戦区としても有名でいろいろな個性あるラーメン屋さんが揃っています。そんなラーメン屋さんの中に「山手ラーメン・安庵」と言う店があります。いつオープンしたのか知らなかったのです東大赤門前に いつの間にかあったと言う感じの店です。なんでも最初に東大駒場にオープンしたそうで東大関係者のお客さんが多く、また同店で働くアルバイトも全員東大生と言うことを「売り」にしているらしいです。ここ本郷店もアルバイトは全員東大生らしく、東大生が作るラーメンなど滅多に食べられないと入店してきました。麺とスープと具に拘るという9種類あるメニューの中で一番人気は豚の背脂を散らした甘いスープで作った「ゆきラーメン」だそうで、その後「唐がらしラーメン」「焼ねぎラーメン」「焼にんにくラーメン」と続くそうです。写真はちょっと太麺の「ピリ辛海鮮つけ麺」ですが今度はラーメンを食べてみたいと思います。

2011年5月14日土曜日

高田馬場の手塚治虫作品壁画。


仕事で高田馬場に出かけました。今まで気づかなかったのですがJR線の高架下に手塚治虫の「鉄腕アトム」「火の鳥」「マグマ大使」「ブラックジャック」等が沢山描かれた壁画(?)があったのです。これは手塚プロダクションが高田馬場にあったことと鉄腕アトムに出てくるお茶の水博士が長官を務める科学省もこの高田馬場にあったとの設定からによるもので、手塚プロダクションと地元の商店街が中心になって完成したものだとか。それにしてもこの大きさの壁画の中に何人ものキャラクターが描かれていますが時間のある時に是非カウントしてみたいと思います。手塚治虫の描くキャラクターは今の時代のものと違い「夢のあるキャラクター」ばかりの様な気がするのは年齢のせいかな・・・。

2011年5月10日火曜日

ゴールデンウィークは谷中・根津・千駄木に散歩。


ゴールデンウイークも終わりました。皆様どちらかに出かけられましたか?私は日頃たまった疲れを癒す完全休養モードでした。遠くには出かけずに近くの谷中・根津・千駄木に散歩に出たくらいでした。ところがこの散歩、丁度根津神社のつつじ祭りが真っ最中と言うこともあり谷・根・千の何処に言っても人・人・人で一杯です。根津神社の写真を見ると分かりますが確かに沢山のつつじがありますが、どう見てもつつじより人の数の方が多いようです。又近くの有名な根津のたいやき屋さんでは今まで見たこともない50人以上の列が出来ています(ここのたいやきは絶品ですよ)。普段も賑わう谷中銀座もいつもの2倍以上の人出に感じます。人ばかり見ていると疲れがどっと出てきて適当に切り上げ戻りましたが約4時間の散歩で携帯電話の万歩計は約15000歩をカウントしていました。皆さんもつつじ祭りが終わってからの谷中・根津・千駄木散策をお薦めしますよ。下記はワイズが制作した谷中・根津・千駄木界隈を紹介したホームページです。

下町界隈シリーズホームページ
「谷中・根津・千駄木界隈」
http://www.yanesen-kaiwai.com/

2011年5月6日金曜日

久々に深大寺そばを食べに出かける。


久々に東京・調布の深大寺に出かけた。深大寺と言えばお寺は勿論のこと植物園と深大寺そばで有名なところでありますが今回は深大寺そばの話です。私が深大寺でそばを食べる店は決まっていて「深水庵」と言う古くからのそば屋さんだ。実は私が大学生の頃この近くに友人が住んでいて、このそば屋さんには結構通った記憶がある。もう何十年も前の記憶だがここの主人(当時おじいさん)が「毎日必ずそばを食べると健康にも良く長生きが出来る」と言っていたのを昨日のことのように覚えている。「深水庵」の売りは「敷地内の地下80mからくみ上げた天然水で国産のそばをうって又茹でる事」と言う。数十年前と変わらぬお店にはもちろん当時の主人は居ないが、当時と同じそばがそこにはあった。ただ当時のメニューで近くで採れた素材を使った「山菜天ぷら」がただの「野菜天ぷら」に変わっていた点である。やはりもう山菜はこの近くでは採れなくなっているのかも知れない。天気で気持ちが良かったのでお店の外に用意された席で久しぶりの深大寺そばを味わった。当時よりちょっと贅沢に天ぷらの盛り合わせとタケノコ天ぷらを追加注文してみたがやはり「山菜天ぷら」が懐かしく思えた。

2011年5月2日月曜日

しゃがの花咲く本郷・炭団坂を歩く。


本郷・文学散歩に必ず登場する「炭団坂」。この坂の由来は炭団などの商う者が多く住んでいた所と言う説と、急な坂で往来の人々が炭団のように転んだとのふたつの説がある。もちろん今はキレイに整地されご覧の様な立派な階段まで設けられている。実はこの坂上の東角の崖上に坪内逍遙が住んでいた。坪内逍遙は明治時代に活躍した日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳がある。それはそれは立派な文人なのです。この場所に坪内逍遙が住んだのは明治19年から明治20年と言われているが、逍遙が同じ町内に移転後、旧伊予藩主久松氏の育英事業として「常盤会」という寄宿舎となり、俳人・正岡子規は学生時代三年余ここに入り、やはり俳人の河東碧梧桐もここに寄宿したのだった。この説明の通り、この場所は如何に文学の匂いがプンプンするかがお解り頂けると思う。そんな坂の上で眼下を見るとしゃがの花が斜面一面に群生していた。なんでも常盤会時代には多くの文人がここに集まり酒盛りをしていたとも聞く。きっと彼らも逍遙もこのしゃがの花を見ながら飲んだ酒は格別だったと想像してしまう。このゴールデンウィーク中はまだしゃがの花があると思います。是非、本郷散歩を楽しんで下さい。