ブログで青梅・御嶽に出掛けたことを書きましたが今日はその続きです。10年以上振りの御嶽渓谷は遊歩道等がより整備され訪れやすくなっているが実感でしたが、ひとつ10年前には無かった光景を目にしました。それは今流行の「ボルダリング」です。正式にはフリークライミングの一種で最低限の道具(シューズとチョーク)で岩や石に登るスポーツの事です。実は先日開催した湯河原・幕山撮影会でも岩山を登る愛好者を多数目にしましたし、そして何と私の次男も最近「ボルダリング」を始めていたのでした。写真の様に御嶽渓谷には大小の岩に登る若者が沢山いましたが各々が昔の体育マットの様なクッションを持ち寄って挑戦していました。皆さん頑張って下さいね。その光景を見た私の感想は「若いから自分の体重を手で支えられるのであり私の様な人間には無関係なスポーツである」ことです。若さが羨ましいですね。
2014年12月16日火曜日
美味しい台湾料理店が開店です。
皆さん、年末になって来ると何かと忙しくなり夜遅くまで残業をすることが増えているのではないでしょうか?私も夜遅くまで仕事をすることがい多く夕食は外食が増えてしまいます。そんな状況の中ちょっと嬉しい事は、近く
に「麺覇王(メンパーワン)」と言う台湾料理のお店が開店したのです。正確にはこの「麺覇王」は以前は湯島の妻恋神社の近くに在ったのですが、APAホテル湯島の建設で本郷に移転してきたようです。以前より店は小さくなりましたがメニューは変わらず薬膳料理を中心に美味しい台湾料理を食べさせてくれます。因みに写真の台南ラーメンは麺がビーフンでちょっとクセになる美味しい台湾名物のラーメンです。仕事で遅くなり寒くなったこの年末の最高の残業食かも知れません。皆さんも如何ですか?
麺覇王
文京区本郷3-43-8
03-6801-5505
2014年12月15日月曜日
昭和レトロの青梅駅周辺を散策。
またまた前回のブログの続きです。沢井駅で青梅線に乗り込み東京に戻ろうとしていたのですが「待てよ!確か青梅って昭和レトロを回顧する町興しをやっていたのでは・・・」と思い出し青梅駅で途中下車してみました。いや~っビックリしました駅構内には写真(上から1~3枚)の様な懐かしき昭和映画の看板がずら~っと並び、赤塚不二夫のバカボンのパパの像までもがあります。因みに青梅駅だからでしょうか「鉄道員」「終着駅」「ぽっぽや(鉄道員)」と鉄道・駅に関連する看板が多い様です。その中でも先日亡くなった高倉健さんの「ぽっぽや(鉄道員)」の看板が哀愁をそそります。青梅駅を出ても昭和回顧イメージは続き、映画看板を配したバス停や電話ボックスを認める事が出来ます。その他にも「赤塚不二夫記念館」「昭和レトロ博物館」「昭和幻燈館」なども在り、時間があったら是非覗きたかったのですが今回は残念ながら入館は叶いませんでした。今度ゆっくり再訪しようと青梅を後にしました。
澤乃井の在る沢井駅は陽気な人が一杯です。
前回のブログの続きです。御嶽から渓谷沿いの遊歩道を歩いていると澤乃井園の脇に出ます。澤乃井園は清酒・澤乃井でお馴染みの小澤酒造が経営する多摩川のほとりに広がる庭園でお酒、ワサビ漬け、酒饅頭、味噌おでん、ソバ、うどん等を飲食できる施設ですが、渓流を見下ろしながら寛ぐには最適の場所の様です。オープンエリアのテーブルには幾つかのグループがお酒を楽しそうに飲んだり食事をしています。更に隣接してお酒好きにはたまらない「利酒処」と豆腐の楽しめる「豆らく」、豆腐会席料理の「ままごと屋」も在ります。今回は「豆らく」に入店して「絞りたて酒(200円)」と「二色のざる豆腐膳(1350円)」をオーダーしましたが、絞りたてのお酒のフルーティな味わいと身体に良さそうな豆腐料理を堪能しました。因みにここで澤乃井のお酒が出来るまでの行程や酒に関するお話などもある「酒蔵見学会」(所要時間約45分)を1日4回行っているそうです。食事後に沢井駅まで歩いてホームで電車を待っていましたが、電車待ちの人達の中には顔を紅くした人、出来上がったしまった人、陽気に騒ぐ人と「流石、澤乃井の在る沢井駅は違う!」を実感してしまいました。
2014年11月26日水曜日
念願のマーチエキュート神田万世橋に行って来ました。
2年程前のブログに、JR山手線の御茶ノ水~神田間の線路脇にガラス張りのレストランを発見したと書いたことが記憶にあります。先日、時間が経ちましたがこの正体を確かめ様と出掛けて来ました。果たしてその正体は「マーチエキュート神田万世橋」と言い、ここに在った旧交通博物館の建物を再生してできた拘りの高いショップやカフェ、ギャラリーが並ぶ商業施設だったのでした。因み旧交通博物館は1912年に完成した「万世橋駅」跡に出来たものなので「マーチエキュート神田万世橋」で2度目の再生となりますね。施設内を歩いてみると旧万世橋駅のプラットホームを利用しているので細長い施設であることを実感します。そしてテナントとテナントを抜ける様に歩くのは従来にない展示方法の新鮮さを醸し出していました。最後に電車から見たガラス張りのレストランですが「N3331」と言うお店で、昼はフードコーディネーターによるセレクトランチ、夜はお酒や旬の肴を提供するバーでした。鉄道ファンならカウンター席に座って電車を見ているだけで楽しそうなお店ですね。
2014年11月21日金曜日
本郷のシンボルだった明治建造の木造3階建「本郷館」が生まれ変わっていました。
最近は年齢とともに歩けなくなった愛犬・ウッチ君の短めの散歩を終えてから、空身で仕切り直し散歩に出掛けています(目標は1日1万歩)。昨夜も本郷・菊坂を抜けて懐かしき本郷館のあった本郷6丁目(旧森川町)方面に出掛けました。因みに本郷館とは、明治38年に建築された高級下宿で(当時)多くの東大生や留学生が住んだ3階建ての歴史ある木造建築物でした。残念ながら2011年8月に惜しまれながら解体されてしまったのですが、解体反対の運動が起こったのを覚えていますし、解体前には「名残惜しくて」何回か通った記憶もあります。ワイズが提供するホームページ「本郷界隈」ではトップの写真としても紹介しています。前回訪ねたのは本郷館が解体され、更地となった2011年の年末でしたから3年ぶりと言う事になりますので時間経つの早さを感じます。さて、久しぶりに訪ねて初めて出たのが「え~っ!」と言う言葉だけでした。なんと本郷館の在った場所には立派で高級感漂うマンションが建っていたのです。そしてその名も「本郷館」なのでした。時代の流れの中で継承されたのは「本郷館」と言う名前だけなのかも知れませんが、見方によっては旧・本郷館のイメージも取り入れているようです。何か複雑な気持ちで暫く「新・本郷館」を見上げていました。(写真は上2枚が「本郷館」で下3枚が「新・本郷館」です)
ワイズクリエイトが提供するホームページ「下町・界隈シリーズ」
「本郷界隈」
http://www.hongo-kaiwai.com
2014年11月18日火曜日
湯島天神 菊まつりは11月23日まで開催しています。
2014年11月14日金曜日
話題の「いきなりステーキ」をガッツリ食べました。
天気の良さにつられ散歩に出かけることにしました。本郷~秋葉原~神田~日本橋の下町コースで片道10000歩が目標です(帰りは電車を予定)。暫くぶりの秋葉原は相変わらず多くの人で溢れていましたが、ここのところの円安の影響なのか沢山の外国人を目にします(買い物一杯していって下さいね)。そして神田に近づくにつれ人が少なくなります。やはり神田はビジネス街で休日は人が居ないのですね。神田駅を過ぎ日本橋が見えてくる今川橋の交差点で噂のステーキ屋「いきなりステーキ」を発見しました。因みに「いきなりステーキ」とはステーキを手軽に食べる事をコンセプトにしていて、立ち食いで1グラム単位いくらという値付けをしています。現在都内に10軒ほどの店舗展開をしているようですが、どこの店も列が出来ていてなかなか食べる事の出来ないお店でもあったのです。ところがですビジネス街・神田にあるこのお店は休日だからなのか列がないのですよ。こんなチャンスは滅多に無いと即入店です。「通常は席に通されて」と書くのですが何せ立ち食いです。「カウンターに通されて」オーダーシステムを説明されます。先ずサラダ、ライスなどのサイドメニューと飲み物を注文して、次はいよいよステーキとなります。カウンターカードを持って店の奥の肉のカットコーナーで希望の肉とグラム数、焼き方をオーダーします(写真3枚目)。肉は(1)リブロース、(2)NARUOリブロース、(3)ヒレ、(4)国産サーロインとあり1グラム単価が5.5円~10円となります(写真2枚目)。ただ最低オーダーグラムがあって(1)と(2)が300グラム、(3)と(4)が200グラムと結構な量なのです。今回は初めてと言う事もあり(2)300グラムでオーダーしました。そして焼き上がったステーキが一番下の写真ですが、流石にプロが焼いてくれただけあって値段以上に美味しく感じます。周りを見ると年配の夫婦や若い女性2人組などがいましたが、皆さん300~400グラムをペロッと食べていたのにはビックリでした。今回はステーキ、サラダ、ガーリックライスで2600円ほどの勘定になりましたがこの値段でこの質とボリュームが食べられれば肉好きにはたまらないかもしれません。ただ立ち食いに慣れる必要があるかもしれませんね。(散歩は約11000歩で目標をクリアでした)
2014年10月21日火曜日
天神下・天久の天丼は「大当たり!」でした。
日曜日は天気も良かったので久しぶりに上野の森に散歩に出かけて来ました。本郷台地を湯島天神を下りて天神下の交差点を不忍池に向かい歩いていると、交差点より直ぐに在る「名物 かき揚 天久」と言う看板が目に入ります。資料が無くてはっきりしたことは分かりませんが店構えを見るとかなり昔からあるお店のようです。そう、佇まいは正に昭和の天ぷら屋さんなのです。噂ではここのかき揚げはめちゃくちゃ大きいとも耳にしていたので、この前を通るたびに気になっていたお店でもありました。今回は、え~ぃ!とばかりに入店です。大変申し訳ないのですが古さゆえに決して綺麗な店内では無いのですが、席に着くとどこか落ち着いた気持ちになってきます。今回は話題のかき揚げでは無くて5点盛り天丼をオーダーしましたが、これがなかなか美味いのです。天ぷらの揚げ方、タレの味、盛り付けなど私好みなのです。う~む、これで1600円なら納得です(サービス天丼は1000円と庶民的です)。何か得した気分で勘定をお願いすると「揚げ玉お持ち帰りになりますか?」とかなり多めの揚げ玉までゲットしました(更に得した気分)。次回は噂のかき揚げを食べに来ようと思いながら店を後にしました。さあ、不忍池まで歩こう・・・・・。
天久
東京都文京区湯島3丁目47-9
03-3831-6717
東京都文京区湯島3丁目47-9
03-3831-6717
2014年9月27日土曜日
湯島天神前の「BISTRO KOUZOU」でオイスター、Tボーンステーキに舌鼓。
何人かのお客さんが来社され、その勢いのまま昨年オープンして気になっていたお店、湯島の「BISTRO KOUZOU」に繰り出しました。湯島天神の前を走る春日通りに面したこの店の売りはオイスターと生パスタ、Tボーンステーキだそうです。もちろん生ビールと各種ワインも取り揃え飲む人、食べる人どちらも満足出来るお店の様です。先ずは全員生ビールで乾杯の後には名物料理を次々にオーダーです。写真を見て下さい。プリプリの北海道厚岸産のカキと焼きたての500グラムTボーンステーキ。この他にもカキのグリル焼きやクリーミーな生パスタと等運ばれて来た料理はどれも美味しいではないですか!近いうちにまた行きたくなる店を発見でした。
2014年8月2日土曜日
家光の乳母・春日局を思いながら春日通りを歩く。
「丸ノ内線・本郷三丁目駅からオフィスへ行く道を教えて欲しい」と聞かれる事があります。その時は本郷3丁目駅を下車して、「本郷通り」を本郷3丁目交差点に進み、交差点を湯島・上野方向に延びる「春日通り」に沿って歩いて・・・・と説明します。この説明で「本郷通り」と「春日通り」二つの通りの名称が出てきます。「本郷通り」は地名が本郷だからと分かるのですが「春日通り」の名称は何処から?と思われる方がいるそうです。「春日通り」とは池袋から文京区、台東区を経由して墨田区へと延びる道なのですが、名前の由来は徳川3代将軍・徳川家光の乳母として有名な「春日局」から来ている様です。その証として丸ノ内線・後楽園駅と「春日通り」の間にある礫川公園には写真の様な「春日局」の立像が置かれていますし、また本郷三丁目交差点から湯島天神までの「春日通り」に面して在る麟祥院は「春日局」の菩提寺となっています。因に麟祥院は「春日局」の法名麟祥院殿仁淵了義からなるそうです。そんな歴史を思いながら「春日通り」を歩くとまたひと味違う歩みになるかもしれませんね。もっと歴史に触れたい方は麟祥院は誰でも入る事が出来ますので「春日局」のお墓を見つけてお参りするのも良いかもしれません。写真の様にお墓は無縫塔(卵塔)で四方に穴が貫通しており死後も政道を正すと言われてもいます。
2014年7月10日木曜日
上野・黒門町の不思議な稲荷神社。
オフィスから湯島天神・男坂を下りて上野広小路に向かう途中の黒門町にちょっと変わったお稲荷さんがあります。ビルに囲まれ間口の狭い箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)が在ります。急ぎ足で歩いていると気付かずに通り過ぎてしまう様な気配を消した神社なのです。ここは徳川家の石川主殿頭忠総の屋敷神であったそうですが三代将軍・徳川家光から銀杏を下賜された事を機に「銀杏神社」と呼ばれたと言います。また明治になると埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社の分霊を受け現在の名称となりました。道路から薄暗い中を覗くと思ったより広い事に驚きます(写真はストロボを発光させて撮影しています)。そして祠の前には家光の下賜した銀杏とは違うと思いますが2本銀杏がそびえます。また祠の前まで進んで驚いたのは祠と銀杏の上には青空が見えるのでした(いったいこの稲荷神社の構造はどうなっているのでしょう)。都心でも普段は気付かないようでも目を凝らすと不思議な場所はいろいろ在るのですね。
2014年7月2日水曜日
数寄屋橋阪急の在ったビルが解体され青空気広がっていました。
仕事で銀座まで行って来ました。本郷のオフィスからは地下鉄丸ノ内線の本郷3丁目駅で乗車して銀座駅で降りるだけなので乗車時間としては僅かに10分です。丸ノ内線・銀座駅から地上に出るには幾つか出口がありますが、数寄屋橋交差点出口や銀座ファイブ出口をよく利用します。地下道を通って銀座4丁目方面に歩くことも出来るのですが、極力地上を歩いて銀座の移り変わりを楽しんでいます。そう言えば今銀座では松坂屋が解体され新しいビルに生まれ変わろうとしています。又見逃せないのが数寄屋橋交差点に在った「銀座TSビル」も解体され地上11階、地下5階の商業施設が2016年に完成するそうです。写真下がその跡地ですが「銀座TSビル」の跡形も無くなり大きな空をを見る事が出来ます。因みに「銀座TSビル」は1934年に建設され1956年には数寄屋橋阪急が開業した銀座では古いビルの一つで中高年の人には懐かしき建物でもあったのです。確実に時が流れ銀座の街も変貌しているのです。
2014年6月26日木曜日
無縁坂で3匹のネコと時間を共有。
先日のブログでも同じ様な事を書いた記憶があるのですが・・・(だんだん危なくなってきている)。オフィスの在る本郷台地から上野方面を目指すには(1)湯島天神の「男坂・女坂」を下りるルート(2)石川啄木が朝日新聞の校正係として通勤に使っていた「湯島・切通坂」を下るルート(3)東京大学に沿って不忍池に通じる「無縁坂」を下りるルートの3つである。この3つのルートのうち一番歴史的な趣きがあるのが「無縁坂」ルートである。「無縁坂」と聞くとさだまさし氏の名曲である「無縁坂」の舞台だと思う人も多い筈だが、私はどちらかと言うと森鴎外の作品『雁』の主人公・岡田青年の散歩道ということイメージの方が強い。それだけまだ歴史を感じる事の出来る坂道とも思っている。先日この「無縁坂」を下りて上野に行こうと歩いていると、塀の上に3匹のネコを発見した。ネコ達は「何でそんなに急いでいるの?」と言わんばかりに私の事を見つめていた。そう、ここはゆっくりと時間の流れる「無縁坂」なのである。その後は岡田青年になった気分でゆっくりと歩を進めていたが坂の途中、上野の山の向こうに東京スカイツリーを認めて、また気持ち足早になってしまったようだ。
2014年6月12日木曜日
お江戸巡りは昔ながらの「舟めぐり」で!
先日、日本橋界隈を歩いていて日本橋・橋上から川を覗き込むと、川畔広場の遊覧船乗り場(?)を発見しました。確かこの場所は・・・・以前から「川船」が発着していたことを乏しくなった記憶の片隅にはあったのですが・・・。今回じっくり見ると立派な桟橋が設けられ船の種類も幾つかありそうなのです。受付担当者らしき人に聞いて見ると、「江戸東京再発見コンソーシアム」と言う団体が運営する「舟めぐり」で「江戸時代、賑わいの中心であった日本橋川や隅田川を中心とした都心の川を、環境に優しく静かな電気ボートで巡り、高層ビルに囲まれた現代的な空間、そこに残る江戸の記憶を辿りながらガイドと一緒に川面の上をゆっくりお散歩クルージング」を開催しているそうで幾つかのコースがあるそうです。よし!じゃあ早速乗り込もうと思ったのですがどうも予約制で次に乗れるのは数時間後とのこと。電話での予約も出来るそうなので次回は予約して「舟めぐり」を楽しみたいと思います。
江戸東京再発見コンソーシアム
http://www.edo-tokyo.info
http://www.edo-tokyo.info
2014年6月11日水曜日
湯島天神下でゆっくり流れる時間を楽しみながらコーヒータイム。
上野・御徒町から本郷台地にあるオフィスを目指すには(1)交通量の多い春日通りの切り通し坂を上るルート、(2)不忍池畔を抜け無縁坂を上るルート、(3)天神下の細道を男坂・女坂を上るルートに分かれます。特に私が使うルートは3番目の春日通りの一本奥の道を天神下を目指すのが多い。喧噪の上野広小路を抜け天神下まで歩くと目前に高くなった湯島天神の森がそびえ立ち、そこから本郷台地が始まる事を認識できる。そうこの台地の駆け上がる辺りを「天神下」と言い、多くの人達に親しまれている。ここは昔ながらの建物やお店も点在し良き昭和時代を味わうことも出来る。思うに上野広小路と本郷に挟まれたここは確実に時間が1.5倍ほど遅く流れているようだ。男坂か女坂を一気に駆け上がると数分でオフィスにたどり着くことが出来るが、たまに天神下の甘味処で「おしるこ」を味わったり、間口1間も無い珈琲屋で煎れたてのコーヒーを飲むこともある。昨日も珈琲屋の前の樽椅子に座ってゆっくり流れる時間を楽しみながら厚いコーヒーを口に運んでいたのでした。
2014年5月21日水曜日
原風景が失われる危機の「谷中」に注目です。
5月19日の朝日新聞夕刊の一面に「薄れゆく 谷中の原風景」(古い建物開発で存続危機)と題した記事が大きなスペースで紹介されていました。何でも有名な「谷中のヒマラヤ杉」が開発により伐採されるかもしれない事や他にも歴史を伝える古い建物が続けて失われていると言う記事であった。このヒマラヤ杉は「みかどパン店」の前にある巨木で、こ一帯のランドマークにもなっていて同店が戦前から鉢植えで育てた貴生育の良い樹齢90年の老木なのです。谷中は良く谷中、根津、千駄木と一緒に括られ略して谷根千(やねせん)の愛称で外国人を含め多くの観光客に愛されているエリアです。オフィスからも歩いて行ける距離なので時たま「谷根千ワークショップ」等も開催しています。ただ新聞の内容の様にランドマークが失われて行くと観光地としての魅力も半減してしまいそうで、何とか存続を願いたいものですね。因にワイズでは下町界隈シリーズのホームページを制作していて「ワイズ谷根千界隈」をネット上で公開しています(写真下)。連休時には1日1500件以上のアクセスがある人気のホムページですので是非皆様もご覧になって東京の原風景が残る谷根千界隈にお出掛け下さい。そして保存運動に協賛をお願い致します。
「ワイズ谷根千界隈」(下町界隈シリーズ)
http://www.yanesen-kaiwai.com
2014年5月19日月曜日
近くの日本サッカー協会ビルが大変な事になっていました。
サッカー日本代表も決まりワールドカップブラジル大会の開幕まで1ヶ月を切りましたね。個人的には中村憲剛が選出されなかったのがちょっと残念でしたが日の丸を背負って頑張って戦って欲しいと思います。そんなサッカーネタですがあまり知られていないかもしれませんが日本サッカー協会は文京区本郷に在るのですよ。オフィスからも徒歩数分で行く事が出来ますが協会ビルの1階はサッカーミュージアムにもなっています。そしてその前の道を「サッカー通り」と言います。そんなサッカー協会ビルとサッカー通りが、今とんでもない事になっています。写真を見て下さい。巨大な協会ビルの一面が代表監督のザッケローニを中心に有力選手が鼓動する図柄の横断幕(ビル幕)に覆われているのです。目の当たりにするとメチャクチャ巨大です。またサッカー通りの歩道フェンスにも巨大横断幕と一緒の「夢を力に2014」と書かれた横長の幕が張り巡らされ、更に街頭からも垂れ幕が目立ちます。ザックジャパンが勝利する事に更に「本郷」はフィーバーする事間違いありません。頑張れ!ニッポン!
2014年5月17日土曜日
浅草のロシア料理は美味しくてリーズナブルです。
怒られてしまいそうなので写真のランチコースのみをお披露目します。見て下さい、サラダ~スープ~魚料理~肉料理~デザートにパンとコーヒーが付いてランチ価格で2900円ですよ。それもどの料理も丁寧に作っていて味も抜群です。ご夫婦やカップルで浅草に行かれた時に是非お立ち寄り下さい。貴方の株が上がる事間違いないですよ。話は変わりますが近頃の浅草は人が沢山増えたと実感します。一時期は観光客も減少し「浅草、大丈夫かな?」と思っていたのですが、今はその心配は必要無い様です。この日も各所が込み合い更に至る所にパフォーマー(写真上)が出現して楽しい街を演出していました。浅草はこれからも注目ですよ!また本郷~上野~浅草の往復で万歩計は16000歩にもなっていました。
2014年5月16日金曜日
カラスに因縁を付けられた散歩になりました?
2014年5月14日水曜日
散歩の途中に千年の歴史がある「下谷神社大祭」に遭遇。
私の携帯電話はAppleのiPhoneです。あまり多くのアプリは入っていませんが「万歩計アプリ」だけは忘れずにインストールしてあります。それは「1日10000歩を歩く」事を目標としているからです。ところがこの10000歩が厄介なのです。普通に日常生活をしていては先ずクリア出来ません。因に直近でクリアしたのは4月26日だけでした。そんな訳で先週の日曜日は「10000歩」を目標に本郷~浅草間を歩いて往復してみました。本郷台地を下りて上野駅にさしかかると、何やらピ~シャラ、ピ~シャラと賑やかな笛の音が聞こえてきます。その音の正体は東上野にある「下谷神社大祭」によるもので、上野駅の高架下にも提灯や祭旗が飾られていました。暫く歩いて下谷神社に到着すると神社の周りには沢山の露店が店を連ね、多くの人達が集まっています。可愛い女の子を見つけ思わず「パチリ」としてしまいましたが、今の時代子供を撮影するには親御さんの許可無しでは撮影出来ない様にも思えますね。また蛇足かもしれませんが、「下谷神社大祭」は千年以上の歴史があって、本祭りは隔年で本年は11日に千貫神輿と称する本社神輿の渡御が行われたそうです。さあ、かっぱ橋を抜けてこれから浅草に向かいます。
2014年5月12日月曜日
変貌する上野・御徒町に吉池ビルが出現。ユニクロ、ユザワヤもありました。
久し振りに上野・御徒町まで歩きました。本郷台地の切通し坂を下りて上野広小路の交差点で信号待ちをしていると、松坂屋百貨店越しのJR御徒町駅方面の景色の変化に気付きました。JR御徒町駅に隣接した場所には、1920年創業の鮮魚・食料品専門店として有名な「吉池」が在りましたが数年前からビル建て替え工事のために板囲いされていたのです。それがですよ。いつの間にかキレイに囲いが取り払われているではないですか。近づいて新装なった吉池ビルを見上げると、ユニクロ、GU、ユザワヤ等のテナントが入った地上9階、地下2階の近代的なガラス張りのビルが出現していました。何でも連休前の4月26日にオープンしたとの事で多くの人達でビルの前は一杯になっていました。通りかかったからには「見物」とばかりにエスカレーで最上階まで上ると、大きな窓からはJR山手線の線路越しに上野の街、そして東京スカイツリーを認める事が出来ました。上野・御徒町と言うと「アメ横」にも代表される様に古い繁華街のイメージでしたが、松坂屋百貨店の建て替えや大型商業施設やオフィス・ホテルの開発が2017年にかけて目白押しと言う事で大きく変貌する事が予想されます。窓越しの街を眺めてあと数年経つとどうなっているのだろう?と興味がわいてきます。
2014年5月9日金曜日
「てんとう虫」の大群を発見。
先日、ある道路を走っていると前から懐かしき「てんとう虫」の大群がやってきました。そう「てんとう虫」と言うのは中年以上の人ならば誰でも知っている「スバル360」です。私の記憶では「フォルクスワーゲン」の愛称である「カブトムシ」に対抗してつけられた名前だったと思うのですが・・・。もう50年も前の話ですが当時私の叔父がこの「てんとう虫」に乗っていて、よく同乗させてもらった事を覚えています。この時代としては手軽な軽自動車だったので多くの方が乗られていて、大きな駐車場には必ず何台かの「てんとう虫」を発見したものでした。ある日叔父がわざとよその「てんとう虫」に鍵を差したところ、何とドアが開いてしまったと言う、今では信じられない様な良き平和な時代の記憶もありました。話は戻って前から来る「てんとう虫」の大群にカメラを向けようと思ったのですが何せハンドルを握っている身です。諦めてやり過ごし用件を済ませ帰路についたところ、あるコンビニの前でさっきの「てんとう虫」を発見してしまいました。今度は自動車を停めて記念撮影でしたが、まさかの再会を喜びながら今の時代でも可愛さは変わらないを認識でした。
2014年4月22日火曜日
再生計画で沢山の人が集まる往事の日本橋に!
「江戸時代最大の商業圏・日本橋」がこんなに寂しくなってしまって今後どうなるんだろう?と思っていました。ところがです。このところテレビでも「日本橋再生」を唱うコマーシャルも登場して商業施設がどんどん出来て一大変貌を遂げました。正直なところ今迄日本橋エリアでこんなに大勢の人々を見た事はありません。買い物をした老舗鰹節の店員さんも「コレド室町2・3が出来てから信じられない人の数です」と言います。これが一過的なブームで無くて恒久的な現象になれば良いですね。空を見上げると三越、コレド、ユイトなどの商業ビルがまるで胸を張っている様にも見えてきました。
2014年4月21日月曜日
神田・日本橋散歩、先ずは鰻で腹ごしらえ。
日曜日は先週の「神楽坂散歩」に続き、「神田・日本橋散歩」に出掛けてきました。特に日本橋地区は再開発が盛んで、先月20日にコレド室町2・3がオープンして人の流れが日本橋に戻ったとも言われる程、変貌急なエリアとして注目されています。日本橋の写真等は明日以降のブログで紹介しますが、今日は変貌する日本橋と秋葉原に挟まれて、ちょっと取り残され感のある神田での昼食の話です。神田(駅周辺)には私が好きな鰻屋さんの「神田きくかわ」があるので年数回訪れます。昨日も散歩の 途中昼食を摂りに立ち寄りました。この「神田きくかわ」は昭和38年創業で私の母も利用していた鰻屋さんなのです。下町の飾らない店作りと「味」が人気の様です。メニューの「うな重」は鰻の大きさからイ・ロ・ハ・ニに分かれますが、昨今の鰻の稚魚の不良で鰻が高騰してしまいメニュー価格も高くなっている様でした。因に記憶では今回オーダーした「ロ」の3300円は以前、1尾半付いていて3500円だったと思います。要するに200円安くなってますが、半尾少なくなっているのです。まあ細かい事はこの位にして、脂ののった「うな重」は口に運ぶと何とも言えぬ幸福感が口いっぱい、心いっぱい広がるのでした(庶民の贅沢ですよね)。さ~、美味い鰻を食べたし散歩を再開です。
神田きくかわ
東京都千代田区神田須田町1-24-2
03-3251-1506
東京都千代田区神田須田町1-24-2
03-3251-1506
2014年4月18日金曜日
2014年4月14日月曜日
神楽坂を散策して「あかぎ・マルシェ」に遭遇。
昨日の日曜日は暖かさに誘われて久し振りに神楽坂まで散歩に出掛けました。本郷からは結構な距離ですがデブ解消のために長い距離をも歩かなければなりません。神楽坂はある意味観光地化していて沢山の人が集まります。お気に入りのパン屋さんで買い物をして名物の肉屋さんでは焼き鳥を買い食いしたりゆったりした時間を過ごしました(ただこの調子ではデブは直らない)。そんな中やけに赤城神社の境内が賑やかそうなので近づいてみると「あかぎマルシェ」と銘打った市場を発見です。「あかぎ・マルシェ」とは「お散歩日和のある日神楽坂・赤城神社に小さな市場(マルシェ)が出現します」と言う事で、写真の様な焼き菓子、野菜、革小物、コーヒー豆、各種アクセサリーなどいろいろなお店が出展していたのでした。各ブースを覗いたり買い物したりで休日感一杯の一日でした。因に今後の「あかぎ・マルシェ」開催日は5月11日、6月21日、7月26日と毎月一回の予定だそうです。興味のある方は散歩に出掛けて下さい。(最後の写真は可愛い外国の女の子を発見して思わずパチリでしたがこれ以上近づけませんでした)
2014年4月9日水曜日
東大研究室の窓に可愛いクマさんが!
昨夜は愛犬を連れて東大構内に散歩に出掛けて来ました。東大病院前のソメイヨシノや安田講堂前の枝垂れ桜もすっかり葉桜状態になっていてちょっと寂しい感じでした。ただ東大赤門横の八重桜が満開になっていて暫し愛犬と一緒に花見を楽しみました。時間は22時を過ぎていましたが相変わらず眠らない大学・東京大学で、この時間ながら校内を学生が闊歩しているし、学舎には明かりが灯り研究に励んでいる様子でもあります。そんな中、ある研究室の窓に可愛らしいクマさんを発見。中の研究室では何人かが机に向かい奮闘中でしたが、その人達に相手にされずに拗ねて窓の外を見ているクマさんの様相です。何とも愛らしいのでカメラに収めましたが、後で聞いたらこのクマさん「リラックマ」と言い人気のキャラクターとの事でした。
2014年3月18日火曜日
ランチは根津のとうふと決めていました。
昨日のブログの続きです。春の陽気に誘われてランチでも食べにと書きましたが、実は食べたいものは決まっていたのでした。それはズバリ「美味しい豆腐」でした。谷根千で有名な根津に「根津とうふ工房 須田」と言うお店が在ります。「昔ながらの技法で仕上げる豆腐は、こだわりの製法で、大豆のうまみを極限まで引き出した、まさに伝統の技が生み出す味」との根津とうふはメチャクチャ美味いのです。そしてこの店では土日祝日には店内でこの豆腐料理を食べる事が出来るのでした。販売が忙しいらしく以前は3種類程のメニューがありましたが、今は「いなり御前」のみでテーブルに座ると何も言わずにこれが出されます。内容はスプーンで食べる本命の根津とうふと豆いなり、おから、油揚げ焼き、みそ汁、豆乳で750円です。特に根津とうふはネギをトッピングして塩と醤油をかけて口に運ぶと思わず「美味~い!」と叫びたくなる程です。店内は10人ほどがやっと座れキャパですから店の前にはいつも列が出来ていますが、めげずに是非一度「根津とうふ」をご賞味あれ。
東京都文京区根津2-19-11
根津とうふ工房 須田
根津とうふ工房 須田
2014年3月17日月曜日
2014年3月5日水曜日
ロバート・キャパの日本での遺作が飾られた洋菓子屋さん。
昨日の続きですよ。熱海・糸川の「あたみ桜」を見てから昭和の町並が残る熱海の町をゆっくり歩いていると「MONT BLANC」と言う洋菓子店を発見です。普通は洋菓子店の前を通ってもスルーなのですが、この時は店の佇まいなど、何処か惹かれるものがあり入店してしまいました。店の中はいろいろなケーキの入ったガラスウインドウが置かれテーブルスペースもあってここでケーキを食べられる様にもなっていました。心の中で「古いお店だけど、こぎれいで気持ちのよい店だな」と思わず呟きました。壁を見ると谷崎潤一郎のポートレートが飾られていて「モンブランのモカロールが大のお気に入りで著作活動後は必ず注文がありました(昭和30年3月熱海の別荘で)」と言うキャプションがありました。そしてその左には、何と写真家のロバート・キャパの撮影したモノクロのスナップが飾られています。説明ボードには「世界的に有名な報道写真家のロバート・キャパは1954年(昭和29年)4月訪日しました。昭和29年4月15日、和服姿のモデル女性と、当時フランス料理店だった当店(モンブラン)に食事に来ました。ビールとベーコンエッグを注文し、コーヒーは何杯ものんだそうです。その時の一コマがこの写真です。食事後に化粧を直す女性と、背景の仕事に打ち込むコックさん(オーナー新田道雄氏)のコントラストにキャパは惹かれたそうです。その後、ロバート・キャパは仏領インドシナ、現在のベトナムに向かいフランスからの独立戦争が激化する報道取材のため、首都ハノイに滞在していましたが、1954年5月25日、ハノイ南東70kmの海岸の町、タイピンの土手で対人地雷に触れ死亡しました。「モンブラン」で撮影したこの写真は日本の遺作となりました。享年40歳でした。」とありました。いや~っ感激ですね。ロバート・キャパの日本最後のスナップと直筆サインまでここで見れるとは。雨の中歩いても得した気分でした。やっぱり熱海って歴史ある町なのですね。(お土産に買った谷崎潤一郎氏お気に入りのモカロールもとても美味しかったですよ。)
2014年3月4日火曜日
日本一早い「あたみ桜」の花見でした。
熱海市街を流れる川に「糸川」があります。川畔には芸姑見番や歴史を感じる料理屋等もあり、更に遊歩道も整備されていて観光客の人気エリアにもなっています。そんな糸川には早咲きの「あたみ桜」が50本近く植えられています。この「あたみ桜」ですが台湾・沖縄産の「カンヒザクラ」と日本の暖地に自然分布する「ヤマザクラ」が親と言われ開花期が何と1月~2月中旬と日本一早く咲く桜なのです。3月2日に「もう咲き終わってしまったろうな?」との気持ちと「未だ残っていないかな?」の気持ちで糸川周辺を訪ねました。結果は写真の通りほとんどが散って葉桜になっていましたが一部「あっ、桜だ!」と花を認める事が出来ました。これから暖かくなり4月になればソメイヨシノや八重桜などが各地で開花すると思いますが、一足早い「ミニ花見」を体験してきました。
2014年2月20日木曜日
上野・アメ横は急激な時代の流れと共に変貌する。
2014年2月19日水曜日
不忍池に蓮観察用の浮桟橋が出来ます。
今日のブログも昨日の続きです。本郷から湯島天神を抜け不忍池まで歩いてきました。不忍池・音楽堂を抜けると不忍池に面した「蓮見亭」があります。ここは蓮を見ながらお茶や甘味、更には酒類まで頂けるお休みどころですが、以前は蓮の開花時期だけの営業でしたが今は通年営業をしています(毎年造ったり壊したりでもったいなかったですものね)。現在この「蓮見亭」の不忍池側が工事中でフェンスに囲まれています。工事説明板には「浮桟橋(蓮観察デッキ)を作っています」とありました。「蓮見亭」の庭越しに顔を出して工事現場を覗いて見ると、「お~っ、もう出来ている」が第一声でした。「蓮見亭」を囲むかの様に不忍池に「コ」の字型に浮桟橋が完成(?)している様に見えます。先程の工事看板には工期が2月下旬までとなっているので、後2週間もすればこの桟橋を利用する事が出来そうです。寒いこの時期に言うのも何ですが、暑い夏はこの桟橋の上は涼しそうですよね。
2014年2月18日火曜日
湯島天神でベリーダンスを撮影するカメラマン達。
一昨日、買い物があり本郷台地を下り上野の町に出掛けました。この行程の途中には有名な湯島天満宮が在ります(皆さん湯島天神と言います)。先日のブログでもお知らせしていますが、今この湯島天神では「梅まつり」が開催されています。雪の影響でそんなに人は集まっていないだろうと足を踏み入れると、何とビックリで写真の様に沢山の人が集まっていました。降り積もった雪と青い空を背景に梅の花が鮮やかです。一眼デジタルを持ったカメラマンも盛んにシャッターを押していました。湯島・夫婦坂を下りようと境内内の人をかき分け歩いていると「おやっ?」と思う光景が目に飛び込んできました。境内の一角に特設されたステージでベリーダンスショーが行われていて、この辺りが特に人口密度が高いのです。近づいて見ると多くのカメラマンが望遠レンズでステージ場の熱演を撮影しています。中には本格的なビデオカメラをセットしている人もいます。ステージ場では腰をくねらした踊りが続きますが、それに比例してシャッター数も増えていそうです。丁度、後を通りかかった女子高生2人組が「あら、おじさん達があんなにステージにかぶりついているわ!」の言葉がちょつと気になりましたが、我らがおじさんカメラマンの皆さんいつまでも頑張って下さいね。
2014年2月17日月曜日
大雪時の東大構内の危険性について。
本郷郵便局に行くために雪の東大構内を抜けました。降り積もった雪は大分溶けていましたが一面銀世界です(ちょっと感激)。ただ所々に雪で折れた木を発見しました。東大の木々は巨木もあり折れた枝はそれだけで1本の木と言っても通用しそうなのです。ある意味この光景を見てぞ~っとしました。その理由はこんな大きな折れ木が頭の上に落ちてきたら大変と言う事でした。昨夜は愛犬の散歩に東大構内を選ばなくて良かった。何しろ何時も散歩で歩いているコース上でも相当の折れ木を発見をしたのですから。今回の大雪は各地でその猛威を振るいましたがまだ暫く影響が続きそうですね。。
2014年2月15日土曜日
2014年2月12日水曜日
久し振りに本郷・菊坂を歩き昔日を感じる。
昨日は所々に未だ雪の残る本郷・菊坂を久し振りに歩きました。本郷・菊坂と言えば明治の時代には東京ホテル・帝国ホテルに次ぐ「菊富士ホテル」が在ったり、スーパーの元祖だった本郷館や芝居小屋、ハイカラ西洋料理屋などがあり、また相当な規模だった夜市も有名で多くの人が闊歩していた、それはそれは賑やかな場所だったのです。更に宮沢賢治、樋口一葉など多くの文人が住んでいた場所としても有名です。そんな菊坂界隈ですが、今はちょっと寂しく人通りもまばらで往時の面影はありません。ただ道路に面した古い建物などを見つけると「あ~っ、歴史ある古い町なんだな・・・」を実感します。世の中、どんどんめまぐるしくなって時間の早さも昔と比べようもありません。たまにはこんな明治~大正~昭和を実感出来る菊坂のある本郷界隈をカメラ片手に散策されたら如何でしょうか?因に下記の通り「本郷界隈」と言うホームページを作って
お膝元である本郷を紹介しています。是非、是非ご覧下さい。写真は上から(1)本郷菊坂を望む(2)長泉寺山門(3)木造3階建て(4)樋口一葉が通った質屋です。
「本郷界隈」
http://www.hongo-kaiwai.com/
http://www.hongo-kaiwai.com/
2014年1月20日月曜日
久し振りに15000歩の散歩でした。
風邪で壊していた体調は完全に戻ったのですが勘が戻りませんね。何をやってもどんくさいのです。やっぱり1週間も臥せっていたので全てが完全に戻るにはもう少し時間が掛かりそうです。さてそんなためでもあるのですが昨日は寒い中努めて散歩に励みました。昼間だけでも1万歩以上歩き、夜の愛犬ウッチ君との散歩とあわせれば1万5千歩にもなりました。因に夜は湯島天神境内に入りましたが写真の様な梅の開花を発見しました。昨年は開花が送れ梅まつりが開催中には開花しなかったことを記憶していますので今年は例年通りの開花でホッとしています。梅まつりは2月8日から3月9日だそうです。今年もいろいろなイベントも有るそうなので皆さんもお訪ねになって下さい。
2014年1月12日日曜日
銀座シネパトスの在った三原橋地下街でお店を発見。
先日、所用で銀座に出掛けた時に45年の歴史に幕をとじた「銀座シネパトス」跡がどのようになったかちょっと覗いてきました。きっと「銀座シネパトス」が在った三原橋地下街は工事囲いされているのだろうと思っていましたが、まだ三原橋地下街の通路は健在で晴海通りを地下で渡る事ができたのです。もちろん写真の様に「銀座シネパトス」はパネルで囲まれていましたが、何と未だ営業を続けているお店を発見しました。お店の名前は「三原」で和食屋さんと言うか居酒屋さんでした。遅かれ早かれこの地下街は耐震強化されるので、このお店がいつ迄営業するか分かりませんがちょっと懐かしさが込み上げてきました。昼時でお腹がすいていたら記念に入店したのですが・・・。昭和の面影がまたひとつ無くなる様で寂しいですね。
2014年1月11日土曜日
マスコット・スズメのピーちゃんに異変が!
のマスコットとして皆さんに可愛がられているスズメのピーちゃんに異変が起きています。それはクチバシがワシ、タカの猛禽類と同じの様に曲がってきているのです。拡大写真をご覧下さい。はっきり言ってチュンチュンと泣くスズメの可愛いクチバシでは無いですよね。こんなクチバシだとエサを食べるのも大変なのではと心配してしまいます。誰かが無責任に爪切りで先を切ってやったら(笑)と言いますが・・・。この後どうなるかはご来店時の楽しみとして下さい。
2014年1月6日月曜日
熱海の海岸散歩するウッチ君。
皆さん、新年おめでとうございます。新年は愛犬ウッチ君を連れて熱海の海岸を散歩して来ました。昔の人なら知っている「熱海の海岸散歩する~寛一、お宮の二人連れ~」で有名な海岸です。今は人口砂浜・サンビーチや遊歩道も整備され規模はちょっと小さいけど「東洋のモナコ」の様相です。因に有名な「お宮の松」って2代目である事を知っていますか?国道135号を走っていても分かるくらいに存在感のある松(写真2枚目)ですが、その横に初代お宮の松の輪切り(写真3枚目)が鎮座しているのでした。もちろん並んで寛一、お宮の像もありますので熱海を訪れたら是非ご覧下さいね。それはそうとウッチ君にとっては手術後初の砂浜(海岸)でしたが子犬の様に駆け回っていました。こんな様子を見ていてやっと一安心の気持ちです。
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