2010年6月30日水曜日

観潮楼からの東京スカイツリー!


急用で久々に千駄木の地を訪れた。千駄木は森鴎外、川端康成、高村光雲、光太郎など多くの文人が住んだ由緒ある町として有名だが、今もその名残からか高台の高級住宅地として人気がある。私はこの千駄木周辺で根津神社の北参道から永井荷風で有名な薮下通りを抜け、団子坂上を通り、動坂上まで続く道を歩くのが好きだ。眼下に谷中の町を見下ろす場所もあり、緑地有りで、本郷台地という高台のへり沿いをゆっくり歩くといろいろなモノに出会え、たまらなく気持ちの高揚を覚える事がある。このモノのひとつが「観潮楼」だ。森鴎外が30歳から60歳で亡くなるまで住んだ観潮楼は団子坂に出る手前に今でも本郷図書館森鴎外記念室として残ってる。因にこの「観潮楼」は鴎外の建て増築した2階から東京湾、品川沖が眺められた事から「潮を観る楼閣=観潮楼」と鴎外が自ら命名した。観潮楼の前には緑で少しだけ熱い日差し遮る小さな公園が造成されている。名前に因んでベンチに座って遠く海を見ようとしても、今はビル、ビル、ビルで白波を見つける事は出来ない。ただじっと見つめているとビルの谷間の僅かなスペースに東京スカイツリーが見えた。激動の明治、大正、昭和、そして平成のうねりの中で時代は大きく確実に動いていた。鴎外も観潮楼から遠くこの様な摩天楼を見つけるとは思ってもいなかった筈だ。

2010年6月29日火曜日

菊坂コロッケは別腹!


懐かしいハンバーグを味わったキッチンまつばで出て歩き出すと、ある肉屋さんに人だかりを見つける。店頭の紫色に白字の旗が風に揺れている。その旗をよく見ると「菊坂コロッケ」の文字がくっきり浮かび出す。ここがテレビ、雑誌等で沢山紹介されているお肉屋さんのまるや肉店だ。もちろん「菊坂コロッケ」で一躍有名になった店だ。どんなに満腹だろうとこの店の前を通ると必ず買ってしまうコロッケだ。確かに揚げたての熱いのをふーふー言いながら食べるのは格別だ。1個の注文でも小さなソースと小袋に入れてくれるのが下町の人情と親切の様な気がする。また沢山注文すると500円硬貨大のミニコロッケをサービスしてくれる時がある。これが一口サイズで絶品です。今回も満腹な腹を抱えて「ひとつ頂戴!」と言ってしまった。因に、夜にこの店の前を通るともちろんシャッターがしまっていますが、そのシャッターに誰が描いたか解らないが大変下手な(失礼)牛の絵等が描いてある。子供が描いた様なこの絵を見ているとほのぼのとした気持ちになるのは私だけでしょうか?

2010年6月28日月曜日

横浜から食べに来るハンバーグ。


本郷・菊坂のオルガノ前を歩いていると、四人連れの40年ほど前は皆20代だった女性(失礼)が「キッチンまつばはどこでしょうか?」と声をかけてきました。場所をお教えしてから、ふと「まつばって一度も入った事は無いけど、確かハンバーグが美味いと言う評判のお店だったな・・・」と思い出す。決して四人連れの女性が美しかったからの理由では無いけど、四人連れの後30秒で「キッチンまつば」に入店!店内は10数人も入ったら一杯になりそうな小さな店で、昭和の町の洋食屋さんと言うイメージ。評判のハンバーグとカキフライの定食をオーダー。料理が出来るまで四人連れの皆さんとお話をしたところ、先日テレビで本郷・菊坂の紹介番組があり、その中でハンバーグが美味しいと「キッチンまつば」が紹介され、今日は友達と連れ立って横浜からわざわざハンバーグを食べに来たとの事。いやー女性のパワーは凄い!テレビのパワーは凄い!両方とも感心しました。定食はメインのハンバーグはもちろん皿に盛られたキャベツとポテトサラダ、お椀に入ったみそ汁。その出で立ちが、昔子供の頃に食べた洋食の味を思い出させてくれました。「ごちそうさまでした。」四人連れの皆様、気をつけて横浜にお帰りください。

2010年6月26日土曜日

本郷菊富士ホテル。


甘いものを頂いた「えちごや」から菊坂を本郷三丁目方面に歩き出すと左側に「オルガノ」の看板を見つける事が出来る。新聞広告でもよく目にする『人と地球未来のためにオルガノの水処理技術』のキャッチコピーのオルガノ株式会社の関連会社の社屋だ。今回はこの会社に注目するのではなく、この社屋の裏の高台に立つ洋風のマンションに注目して下さい。昔このマンション付近に有名な『本郷菊富士ホテル』が建っていたのです。菊富士ホテルは明治29年、羽根田幸之助・菊江夫妻により菊坂町の長泉寺境内に下宿屋菊富士楼を開業したのが初めです。明治40年隣地に三階建の別館を建築し、大正3年に東京大正博覧会による外人客を見込み、東京ホテル・帝国ホテルに次ぐ菊富士ホテルを増築。地上三階地下一階、屋上に塔の部屋を持つ30室の新舘をオープンしました。屋根のイルミネーションが輝き夜の菊坂名物ともなりました。このモダンな高等下宿に宿泊した人たちは、外人客よりいつの間にか作家・芸術家が多くなり名作を生み出すことになったのです。戦争末期の昭和19年廃業し売却され翌年東京大空襲で焼失してしまいました。宇野浩二、尾崎士郎、宇野千代、石川淳、直木三十五、広津和郎、竹久夢二、谷崎潤一郎、宮本百合子、高田保、坂口安吾、大杉栄、伊藤野枝、月形竜之介など多彩な人物が止宿したホテルとしても有名です。私の想像ですがこのマンションはきっと菊富士ホテルを意識してデザインされたものだと思います(後日調べます)。また写真下にご注目下さい。近藤富枝著の小説『本郷菊富士ホテル』です。興味のある方は書店にてお求め下さい(中公文庫)。結構読み出があります。

2010年6月25日金曜日

菊坂・えちごや登場


先に紹介したロシア料理「海燕」の隣にある「えちごや」の登場です。本来は店の歴史からもこちらを先に紹介しなければならなかったのですが、お許しを。菊坂沿いに昔から店を構える「えちごや」は何と明治10年創業の甘味処なのです。とても小さな店で10人も入ると一杯になってしまいそうですが。この広さにしてこのメニューの数はと思うくらいに看板の小倉アイスに始まり、お団子、大福、みつ豆、あんみつ、おしるこ、おはぎ、和菓子等の甘いものはもちろん、ラーメン、たまご丼、定食まで用意しています。店の中に入って「お団子とお茶」のオーダーも可能。とても良心的で菊坂散歩でちょっとくたびれた時に立ち寄る店としては最高かも。値段が安く昔懐かしい味でとても丁寧に作っているが私の感想ですが、写真のクリームみつ豆を見て頂ければ納得されると思います。

2010年6月24日木曜日

菊坂下道にそびえる煙突。


樋口一葉旧居の石段を上って路地を抜けると鐙坂に出る。左手に在るのが帝国大学卒業の言語学者、金田一京助・春彦氏の旧居だ。こんな狭い場所に文人・学人が沢山居たとは、やはり本郷は凄い!(そのほか後日紹介しますが宮沢賢治、坪内逍遥の旧居も近い)何か歴史を感じる鐙坂をゆっくりおりる。因にこの鐙坂を「鐙坂は御弓町より丸山へ下る坂をいひ、往古この処に武蔵鐙を製し初めしもの子孫ありて鐙を作るゆへ坂の名とすといへり」とある。鐙は馬の鞍の両側に下げて乗る者が足をかける馬具。こんなところで鐙を作っていたのかとちょっと感慨に耽る。ただもう一説には坂の形が鐙に似ているともあるので真偽の程は・・・。坂を下りてくるとどことなく懐かしい銭湯が登場する。『菊水湯』だ。菊水湯は現在では珍しくなった唐破風建築の銭湯。現在の建物は昭和初期に建築され、何と今でも地下水を汲み上げ薪で湯を沸かしている。お湯の優しさが魅力だ。夕方にこの銭湯の前の菊坂下道を通ると、はたして木桶の音か定かではないが「カラ〜ン」「コロ〜ン」と言う音と、子供の笑い声が聞こえてくる。やなり日本の、東京の下町は良いものである。

2010年6月23日水曜日

一葉御用達の伊勢屋質店。


菊坂下の井戸のある住居に住んでいた樋口一葉は明治26年に生活の立直しのため下谷竜泉寺町に移転して行く。移転前に「此夜さらに伊せ屋がもとにはしりて、あづけ置たるを出し、ふたたび売に出さんとするなど、いとあはただし」とある。移転後も終薦の地(西片)へ移ってもこの質屋とは緑は切れなかった様だ。死の前年の日記には「時は今まさに初夏也、衣がえも、なさではかなわず、ゆかたなど大方いせやが蔵にあり」とある。一葉の亡くなった時の香典帳に伊勢屋より「金壱円也」とある。伊勢屋の土蔵は一葉当時のままだが店部分は明治40年に改築した。因みに菊坂下の住居と伊勢屋は徒歩2分位で如何に近くて便利だったかが想像できる。年に1回、一葉の亡くなった11月23日の一葉忌に一般公開しているので興味のある方はお訪ね下さい。

2010年6月22日火曜日

樋口一葉旧居は今も・・・。


菊坂と言ったら樋口一葉を思い起こす人が多いと思います。特に5千円札の肖像画になってから、ここ菊坂の一葉旧居は沢山の観光客が訪れています。樋口一葉は父親の死後、18歳の時に戸主となって母妹とここに移ってきました。。ここでの2年11ヶ月は衣服洗濯や針仕事で生計を立てながら執筆活動に励み多くの名作を生み出してもいます。ここは一葉文学の発祥の地であると言われています。足を踏み入れると明治の時代にタイムスリップしたような気になるのは私だけでしょうか。写真の井戸は一葉が使ったとされています。確かにそんな歴史ある井戸の様な気がします。

2010年6月21日月曜日

菊坂下の洋食屋さん。


「海燕」より本郷三丁目方面に戻ろうと思いましたが、菊坂下でラクビーボールを半分に切った様な型の気になるビルを見つけました。1階を見ると、フレンチ鉄板・グリル・煮込み料理「コトトワ」とあります。植物を配した窓から中を覗くと店の半分がカウンター席、残りがテーブル席でちょっとしゃれた感じのお店。カウンターには外人親子1組、テーブルには誕生会グループと夫婦2組ほど。「テーブルが空いている!」そのまま入店。メニューを見ると数種のランチメニューが記されている。2100円也のランチコースをオーダー。内容は写真の通りですが、どちらかと言うと家庭的な味で、気取らずにこの料金で食べられのはマル。本郷・菊坂散歩にはうってつけかもしれない。この菊坂界隈にも新しい店が少しずつ増えていますが、みな洋食が中心なのがちょっと気になる。

2010年6月19日土曜日

菊坂のロシア料理は旨し。


本郷通りから菊坂に入り言問通りの菊坂下のT字路の手前左に小さなロシア料理の店「海燕」がある。20席程の小さなアットホームな感じの店ですが本格的なロシア料理が食べられる驚きのお店です。あまりロシア料理は好きでなく今まで何処で食べても「こんなものか!」と思っていましたが、ここで食べてから「ロシア料理にも美味しいのがある」と考えが変わりました。小さな店ですから夜は予約をした方が良いかも。因にお薦めはランチタイム。写真のボルシチ、サラダ、ビーフストロガノフ、デザート、蜂蜜付き紅茶で、何と何と1000円でした。今時この内容でこの値段は無い。大満足!などと思いながら今歩いて来た菊坂を戻りだしました。さて次は何が在るか?(「海燕」本郷4-28-9 03-6272-3086)。

2010年6月18日金曜日

本郷・菊坂に戻る。


東京スカイツリーの押上から本郷に戻り、菊坂方面を散歩。樋口一葉が5000円札の肖像画に採用される様になってから、一葉が住んでいた本郷・菊坂界隈が更にスポットライトを浴び多くのテレビや雑誌等で紹介され、休日ともなるとカメラ片手の観光客を多く見受ける様になった。地元も案内地図の増設や、しゃれたデザインの街灯などを新設しこれに応える格好になっている。「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多住居仕候に付き、同所の坂を菊坂と唱え。坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由」とあり本郷通りの文京センタービルの北横から西方1丁目の台地の下までの長いだらだら坂を菊坂と言っている。菊坂に入って直ぐに写真の街灯、案内板を見つける事が出来る。

2010年6月17日木曜日

もうひとつの食べる東京スカイツリー。


東京スカイツリー周辺を散策していると、あるそば屋さんのウインドウにとんでもない物を発見。その名は『タワー丼』。ウインドウ内の天重と比較してもその高さ、大きさにビックリします。調べてみるとかき揚げ1個と大きいエビ天3個を、そびえる東京スカイツリーの様に盛りつけた新メニューらしい。空腹時なら即入店したのですがこの日はその大きさに怯んでパス。後日チャレンジしてみよう。因にこのボリュームでお新香、みそ汁が付いて1800円。流石は下町価格。(そば処かみむら03-3625-1205)

2010年6月16日水曜日

東京スカイツリーを直下で見る。


「無縁坂の東京スカイツリー」の光景に触発されて押上に直行する。東京スカイツリーを真下から見上げる場所はツリー本体の建設工事はもちろん、川の護岸工事や関連施設の建設も突貫工事の様子だった。周辺は何台もの観光バスと観光客とでごった返し移動アイスキャンディ屋も出る程の熱気に包まれている。この光栄を見ていると一昔前に行った中国の街を思い出した。私の東京スカイツリーを見ての感想は単純に「大きい!」だった。ただ東京タワーを初めて見た時の感動とは異質のものでもあった。

2010年6月15日火曜日

無縁坂と東京スカイツリー。


東京大学・龍岡門から鉄門前を通りクランク状に不忍池まで下る「無縁坂」は森鴎外の名作『雁』にも登場し、さだまさしの歌にも歌われています。道路沿いの岩崎邸の外壁ともマッチしてとても風情ある道です。そんな「無縁坂」の景色に異変が!なんと、今話題の東京スカイツリーが突如出現したのです。(決して突如でなく気づかなかっただけかも)「無縁坂」を不忍池に向かい降り出すこの場所こそが最高の撮影ポイントです。これ以上、上でも下でも「無縁坂と東京スカイツリー」は美しくありません。もし今の時代に、森鴎外が生きていたなら『雁』の一節の「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて。愛染川の・・・・」が「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。東京スカイツリーの見える無縁坂を降りて。愛染川の・・・・」になったかもしれない。

2010年6月14日月曜日

東京大学の夜は更けて。


本郷には皆様ご存知の東京大学があります。先にもご紹介しました様に、学生・学校関係者だけで2万人規模の日本最大の大学です。土日曜日ともなると一般の方々が東京大学散策に訪れ、大学でも来校者向けに構内案内ツアーの企画、食堂の開放等も行っています。また安田講堂の脇には24時間営業のローソンやドトールコーヒー、サブウェイなども在るのご存じない方は多いと思います。さてそんな開放的な東京大学ですが、夜間になると外来者はいなくなります。常識的に夜に訪問するのは・・・との思いもありますが、何と太っ腹な東京大学。夜10時頃までならば、怪しい格好をしていない限り入校できます。もちろんガードマンが巡回していますがその時は入校理由等を言えば大丈夫。写真は昨夜10時頃の東京大学中央図書館のスナップです。昼間とは違い灯りに照らされ幻想的に写っています。※カメラは携帯電話です。写りの悪いのはご勘弁を。

2010年6月12日土曜日

いよいよワールドカップ開催。


先ほどサッカーのFIFAワールドカップが開催された。今年の日本代表は得点力に関して若干頼りない感じもするが、地元本郷には日本サッカー協会(JFA)がある事だし応援に力を入れたい。日本サッカー協会は2002年に行われたワールドカップの剰余金を元に、2003年に本郷にビル購入。JFA事務局の移転と2002年W杯を記念した立派な日本サッカーミュージアムを開設しました。地元の本郷ではこのビルの前の道を「サッカー通り」と命名しブルーを基調にした「がんばれ SAMURAI BULE」なる横断幕を掲げ応援にも力が入っています。と言いたいところなのですが、どうもワールドカップ熱がそれほど高くない様です。サッカー通りの商店主も「なんでこんな盛り上がりが無いんだろう。商店街としてもワールドカップクイズ等を企画しているんだけど・・・・」と嘆いていました。地元の皆さんワールドカップはさっき始まったばかりです。今からでも遅くありませんので大エールをおくろうではありませんか!

2010年6月11日金曜日

今、一番のお気に入り。


本郷3丁目の交差点から徒歩1分に、今一番のお気に入りの「手打ちそば 田奈部」がある。この店は2005年に「おいしいお蕎麦を作ってみたい、蕎麦の美味しさを知らない人にも是非知って欲しい」との店主の思いで開店。まだ若い店主だが、そばに対するこだわりで本当に美味しいそばを提供してくれる。昨夜、友人と一緒に訪ねると丁度そば打ちの最中。自家製粉の石臼挽きしたそば粉を使い真剣な様子でそばを打ち、そして切り出す。写真を見ても店主のこだわりの様子がうかがえる。そばが好きで先日も長野・戸隠のそばやさんを数店廻ったが、戸隠のそばより、今一番のお気に入りはこの「手打ちそば 田奈部」である。

2010年6月10日木曜日

今日から本郷界隈です。


今回からは地元の本郷界隈にスポットを当てます。まず最初に地下鉄丸の内線・本郷三丁目駅。この駅の1日の乗降者数はなんと5万人以上だそうです。因に本郷にある東京大学の学生、学校関係者が2万人以上で、5万人の中にかなりのウエイトで東大関係がいる事になりそう。地下鉄には珍しい駅舎が地上に在り透明のドーム屋根がオシャレです。駅前にはコーヒー店、居酒屋、レストランが多数在ります。駅前から本郷通りに出て左に折れると直ぐに本郷3丁目の交差点。この交差点の角に在るのが「かねやす」。昔々、口中医師(歯科医)が「かねやす」と言う屋号で歯磨き粉を販売しこれが大繁盛でした。また明暦の大火の影響で大岡越前守は再興家屋は本郷3丁目から南は耐火のため土蔵造り、屋根は板や茅葺きを禁止して蛎殻葺きにする事を命じ、土蔵造りや塗屋の江戸の町並みは本郷3丁目まで続きそれから北の赤門方面の中山道は従来通りの町屋だった。その境目の大きな土蔵造りのかねやすが目立っていたとの事。「本郷もかねやすまでは江戸の内」。

2010年6月9日水曜日

須藤公演と講談社発祥の地。


谷中銀座から根津駅に向かう途中でちょっと一休みで須藤公園に立ち寄る。須藤公園は江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩の屋敷跡で明治になって実業家須藤吉左衛門が買取り、昭和に須藤家から東京都に寄付され文京区に移管され現在に至っています。公園には珍しく傾斜地にあり、この地形を活かし木々が配置され、まるで大きな森の様です。大きな池も有り子供の遊び場としても最高。また大きなクスノキの下で涼をとるのもいいかも。しばし公園のベンチで休んでから駅に向かおうと道路1本で隣接するマンションの下に「講談社発祥の地」なる案内板と石碑を発見。読むと【1909年(明治42年)11月、青年・学生の弁論と精神修行のため雑誌「雄辧」発行を志した30歳の野間清治は、東京団子坂下の借家の門柱に「大日本雄辧會」の看板をかかげたー講談社の創業である。】因に今このマンションは講談社の社宅になっている。さあ、そろそろ電車に乗ろう。

2010年6月8日火曜日

谷中の鳴かないネコ。


根津神社からヘビ道を通り、谷中銀座にやって来ました。相変わらず賑やかで谷中メンチとビールで一杯。等と言う方々もいます。谷中と言えば「ネコ」のイメージが定着し谷中銀座を見下ろす「夕焼けだんだん」には、かつて十匹以上のネコが住み着いていた記憶が有ります。今は滅多に見る事ができない。そんな訳でも無いと思いますが谷中銀座には写真の様な作り物のネコ2匹が鎮座し訪れる人を迎えてくれる。視線をちょっと上に向けると、各店舗の屋根にこれまた「ネコ」を見つける事が出来る。こちらは本物そっくりだが、残念ながら「ニヤァーン」とは鳴いてくれない。

根津神社の挙式は。


根津神社に入ると俄な人だかりが見受けられた。幾つになっても好奇心旺盛で足早に本堂に近づくと、大変おめでたい事に挙式の最中。根津神社のホームページで調べると「司馬遼太郎が「閑寂な境内・剛健な建築」と感嘆した神域での結婚式は、全てが江戸時代にタイムスリップしたかのような背景の中で進行します。儀式は簡略化を一切せず、厳粛そのもの。参列者全員が玉串を捧げて二人の幸せを祈ります。(最大収容人数40名、友人も可。所要時間約30分)」との事。それも1日2組限定。スナップと集合写真撮影のために、スーツ姿のプロカメラマンが何人か見受けられたがその手にはデジタルカメラが。昔ながらの挙式でも撮影はデジタルと、ちょっと複雑な気持ちでした。

2010年6月7日月曜日

根津のたいやき


昨日の続きです。なんで食べ物ばかりと思われるでしょうが、その答えは「好きだから」です。大学生の時あるスーパーのたいやき売り場で三年間もアルバイトをしていたもので、たいやきに関してはちょっとうるさいのです。現在私が美味いと思うたいやきは麻布十番の「浪花家」、人形町の「柳屋」、それに今回の「根津のたいやき」。からっと焼けた薄めの皮と絶妙な甘さの餡が最高です。たいやきは冷めたときに美味しいと感じるものが「本当に美味い」が持論ですが、このたいやきは熱くても、冷めても美味さを感じます。この美味さは餡の質や皮となる粉の調合はもちろん、火力も大きな要因となります。とても奥が深いのです。さあ、熱いたいやきを片手に次は谷中銀座へ向かってみようと思います。

2010年6月6日日曜日

谷中の愛玉子


久しぶりに谷中・根津・千駄木地区の散策に出かける。日暮里駅で降り谷中霊園を抜け下町風俗資料館に向かう・・・途中に有るのが黄色い看板に「愛玉子」(オーギョーチと読む)と書かれたお店。店の前には、「コーヒー。氷アズキ」「台湾製オーギョーチ」、「お土産用オーギョーチあります」とあり大正・昭和を彷彿させる喫茶店(?)であることが解る。以前知人からこの店で台湾製の珍しいスイーツ「愛玉子」が食べられと聞いていたので、この店の前を通る事6度目にして初めて入店。店の中は想像通りのレトロなレイアウトで幾つかテーブルが並べられている。店の中で通常のオーギョーチの他に氷オーギョーチがある事を発見。きっとこれから夏に向かい、暑い季節向けのスペシャルメニューなのかな?などと想像して、迷わず2種類をオーダー。運ばれて来たのが写真の黄色いカンテンスイーツ。因に愛玉子とは台湾でしか採れない果実で、これをカンテン状に固めてシロップで固めた由緒正しいスイーツだそう。氷オーギョーチはこれにカキ氷をかけたもので100円アップの500円なり。この日は暑かったので私的には氷オーギョーチに◎(ニジュウマル)。ある意味で念願の「愛玉子」は好印象で食べる事ができ「ごちそーさま」でした。それともうひとつ気になったのは下町風俗資料館前のレトロな喫茶店に「カバヤコーヒー」と記されていること。懐かしさを感じるのは何故でしょうか?