2010年6月26日土曜日

本郷菊富士ホテル。


甘いものを頂いた「えちごや」から菊坂を本郷三丁目方面に歩き出すと左側に「オルガノ」の看板を見つける事が出来る。新聞広告でもよく目にする『人と地球未来のためにオルガノの水処理技術』のキャッチコピーのオルガノ株式会社の関連会社の社屋だ。今回はこの会社に注目するのではなく、この社屋の裏の高台に立つ洋風のマンションに注目して下さい。昔このマンション付近に有名な『本郷菊富士ホテル』が建っていたのです。菊富士ホテルは明治29年、羽根田幸之助・菊江夫妻により菊坂町の長泉寺境内に下宿屋菊富士楼を開業したのが初めです。明治40年隣地に三階建の別館を建築し、大正3年に東京大正博覧会による外人客を見込み、東京ホテル・帝国ホテルに次ぐ菊富士ホテルを増築。地上三階地下一階、屋上に塔の部屋を持つ30室の新舘をオープンしました。屋根のイルミネーションが輝き夜の菊坂名物ともなりました。このモダンな高等下宿に宿泊した人たちは、外人客よりいつの間にか作家・芸術家が多くなり名作を生み出すことになったのです。戦争末期の昭和19年廃業し売却され翌年東京大空襲で焼失してしまいました。宇野浩二、尾崎士郎、宇野千代、石川淳、直木三十五、広津和郎、竹久夢二、谷崎潤一郎、宮本百合子、高田保、坂口安吾、大杉栄、伊藤野枝、月形竜之介など多彩な人物が止宿したホテルとしても有名です。私の想像ですがこのマンションはきっと菊富士ホテルを意識してデザインされたものだと思います(後日調べます)。また写真下にご注目下さい。近藤富枝著の小説『本郷菊富士ホテル』です。興味のある方は書店にてお求め下さい(中公文庫)。結構読み出があります。

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