2010年9月30日木曜日

銀座三愛ビルのギャラリー


皆さん銀座四丁目の交差点角にある「銀座三愛ビル」をご存じですか?一時は日本一高い土地として公地価格で話題になっていましたが、正確には「三愛ドリームセンター」と言います。因みにこのビルの形は奈良県の法隆寺五重塔をヒントに「建物中心に大きな柱を立ててビル全体を総ガラス化させた円筒型のビル」と言うことから考案し名称も一般公募により「三愛ドリームセンター」になったとか。このビルの8、9階ににリコーが運営するフォトギャラリー「RING CUBE」があります。たんに写真を展示・鑑賞するだけではなく、もっと写真を身近に感じてもらえるよう、撮る楽しみ・観る楽しみを体験してもらいたいとのコンセプトで開設していますので、写真好きな方は是非一度訪問することをお勧めします。

2010年9月29日水曜日

銀座歩行者天国の風景。


休日の銀座通りは歩行者天国となり多くの方々が道路の真ん中を闊歩しています。この歩行者天国で目立つのがテレビカメラによる街頭インタビュー風景だ。この取材クルーはカメラマン、インタビュアー、録音スタッフなどを含めだいたい4〜5名だ。インタビュアーのマイクにはテレビ局や番組の表示が入っているので、だいたいどの様な目的でインタビューしているかがわかる。今回も「ちょっとインタビューしてよろしいですか?」とあったが、あまり表に出るのが好きでないので丁重にお断りをした。写真下はとても小さな女性のカメラマンが気になったのでちょっとスナップしました。カメラマンとインタビュアーが逆のような気がしませんか?またもう一つ目立つのがデパートや各店舗の商品・価格の表示に中国語が当たり前のように使われていることだ。中国パワーは凄まじく銀座を歩いているだけでどこからともななく中国語が耳に入ってきます。円高でその他の外国からの観光客にとっては辛い銀座ショッピングの気がしますが、何気ない格好がとてもおしゃれな西洋人は銀座の風景とぴったりマッチしますね。

2010年9月28日火曜日

銀座ファイブの写真ギャラリー。


銀座マリオンの前の高速道路下に「銀座ファイブ」がある。地下一階がカフェ&レストラン、一階がファッション・ジュエリー、二階がギャラリー・世界の骨董のフロアーになっている。今回はこの二階に注目したい。以前この場所にには富士フォトサロンと言うギャラリーが3つもあって多くの写真ファン(1日千人以上)が押し寄せた。このギャラリーが六本木の富士フイルム社に移転してから写真ファンはとても寂しい思いをしていた。そんなこのギャラリーのあったスペースの近くに「フレームマン・ギンザ・サロン」というギャラリーが昨年オープンして人気を博している。やはりギャラリーを見て、食事をして、ショッピングをするには銀座は六本木より身近に感じられる様だ。

2010年9月27日月曜日

Apple Store Ginza で話題のipadを!


ミキモトから一丁目に向かう松屋の前に銀座・Apple Store Ginzaがある。ここはApple製品の展示・販売にとどまらず各種ワークショップも開催している。因みに直近のワークショップは「Vectorworks 2010で作る未来のデザイン」「Video Power:HDビデオカメラとFinal Cut Studio」「ビジネスに活かすiPhone 4セミナー by コーチ・カルダン」など。もちろんAppleに詳しいスタッフも沢山いるのでいろいろな相談にものってくれる。話題のipadも手にとって試すことが出来るので時間のある時、待ち合わせの時間調整にも最高の場所となります。それにしてもAppleの快進撃は凄まじいですね。

2010年9月24日金曜日

銀座にコスモス畑と女性カメラマン出現。


毎年クリスマスの時期になると銀座ミキモト本店前のガーデンプラザには有名なイルミネーションクリスマスツリーが飾られ人気を呼んでいます。酷暑が一段落してやっと秋の気配が感じられてきたこの頃ですが、このミキモト前を歩いていると秋を代表するコスモスが沢山咲いているではないですか!赤やピンクや白の鮮やかな花が銀座をにぎわせてくれています。花を見つめ、つかの間の秋を感じていると高級デジカメをカバンから出した女性カメラマンが窮屈そうに屈みながらコスモスを撮影しだした。今、女性カメラマンが増えていると言うニュースを何か新聞で読んだばかりだった。そんな現れなのかも知れませんが銀座の女性カメラマンは何か優雅でオシャレな感じが漂っていました。

2010年9月22日水曜日

三越9階の銀座テラスと三囲神社。


新装なった銀座・三越の9階に「銀座テラス」が出現した。銀座テラスとは「地上31mに現れた憩いの空間」との事で、芝生の上に寝そべったり座ったりできる広場と四季の草木が広がる植栽スペースが注目で、同じフロアの「みのりカフェ」からテイクアウトしたサンドウィッチなどを太陽の下、ピクニック気分で食べる事も出来る。また以前ブログでも紹介した向島の三囲神社(みめぐりじんじゃ)と出世地蔵もここに出現。銀座の天空にこのようなスペースがあるとは想像もつかない。

2010年9月21日火曜日

変わりゆく銀座を訪ねて。


下町の散歩からはちょっとそれてしまうと思いますが、休日の銀座に行って来ました。近年銀座もデザイナーブランドのビルが建ったり、チェーン店のレストランが開業したりと無冠の銀座イメージからは少しずつ変化してきている様です。デパートも例外無く変化している様で松坂屋も外資系テナントが入ったり、松屋の1階にもにもデザイナーブランド店が存在感を出しています。デパート不況と言う事もあり各店もいろいろな企画や業態変化が盛んに行われている様ですが、4丁目の角の三越が、この度新館建設による増床で一気に台風の目として展開しだした。この日は店に入るにも列が出来る程の盛況ぶりでした。

2010年9月15日水曜日

上野の「つばめ風ハンブルグステーキ」。


皆さん「つばめグリル」と言う店を知っていますか?つばめグリルは1930年創業の「つばめ風ハンブルグステーキ」がとても美味しい歴史ある洋食屋さんです。調べると1946年から銀座に本店を移し現在まで営業を続けています。私はこの店の前述のハンバーグが大好きで銀座店には30年程前から通っていました。アルミホイルで包まれふっくらと焼き上がったつばめ風ステーキはハンバーグソースに代わるビーフシチューがハンバーグと絶妙に絡み合い新しい形のハンバーグとして注目されてもいました。そんな「つばめグリル」を上野の街に発見しました。場所は上野アトレ2Fです。早速「つばめ風ハンブルグステーキ」をオーダー。待つ事10分。運ばれて来た料理を見ると何か違和感を覚える。いつもは鉄のプレートにのっているハンバーグが普通の皿の盛られているのでした。店の人に聞くとこの店は、正統の「つばめグリル」では無く関連の「GRILL 1930 つばめグリル」と言う店だそうで若干料理も違うとの事でした。口に運んだハンバーグも味が違いちょっとがっかりな食事となってしまいました。今度は銀座に行こう!

2010年9月14日火曜日

上野のきよみず観音堂。


上野の山を歩いていると「清水坂」の案内塔を見つけた「しみず坂か!」と目を凝らすと「きよみず坂」とあるではないか。ここは上野公園内の清水観音堂(きよみずかんのんどう)の南側の階段だった。因に清水観音堂は 重要文化財で寛永寺を開創した天海が 京都清水寺を模して 1631年に創建した由緒あるお堂だったのです。不忍池に臨む正面の舞台造りは江戸時代より浮世絵に描かれるなど特に有名で本尊は千手観音との事。「しみずさか」と読むより「きよみずさか」と呼んだ方がより重さを感じるのはやはり京都清水寺があまりにも有名なせいかも。

2010年9月13日月曜日

西郷像と外人館観光客。


アメ横を抜け上野の山に出てみる。上野の山と言うと誰でもイメージするものに「西郷隆盛像」がある。恰幅の有る身体に着物を着て犬を連れた姿は、私が子供の頃に見ても相当にインパクトが有り鮮明な記憶として残っている。西郷隆盛が写った写真等はあまり無くこの像を造る時も実弟を参考にしたとも聞いている。今テレビでは『龍馬伝』が人気でそれに出る西郷隆盛も豪快な漢を演じている。さて西郷隆盛像を見ていると外人観光客らしい綺麗な女性がカメラを取り出し撮影を始めた。西郷隆盛の事を詳しく知っていれば別だが、果たして奇妙な着物姿で犬を連れた像にどのような思いを持ってシャッターを切っているかをちょっと気になってしまった。

2010年9月10日金曜日

御徒町駅前「生鮮品の吉池」


御徒町駅前には創業90年になると言う生鮮品で有名な「吉池」がある。子供の時の記憶におぼろげながら年末に荒巻鮭を買いに行った事を思い出した。今でも地下2階地上8階の吉池ビルには生鮮市場はもちろん、食品、お酒、雑貨売場にレストランまでもがレイアウトされ下町の台所としての役割は変わらない。生鮮市場の入口には大きな鯛の作り物(写真)がお客さんを迎えている。因にこの「吉池」は本業の他にも和、洋食レストランや寿司屋、居酒屋、旅館までも経営している。90年の歴史の中でいろいろな業態が派生した様だが、いつまでも「生鮮品の吉池」を守ってもらいたい。

2010年9月9日木曜日

アメ横のお寺で気力、体力の回復を!


御徒町駅近くを山手線で通過すると、アメ横の一角にお寺を発見します。正確な位置はアメ横のお菓子で有名な「二木の菓子」の前にあるお寺です。名前は『魔利支天 徳大寺』と言います。更に正確に言うと、妙宣山徳大寺と称し約600年前に慈光院日遺上人により創立され開運大摩利支尊天を奉る由緒あるお寺だったのです。参拝すると「気力、体力、財力」を与え「厄を除き、福を招き、運を開く」と言われています。雑踏のアメ横からちょっとそれて石段を上がると緑も豊かな境内です。参拝して境内で一時の休憩をすると少なくとも「気力、体力」だけは回復した様です。

2010年9月8日水曜日

アメ横のガード下で生ビール。


アメ横も夕方になると各商店の看板に明かりが灯り、買い物だけではなく飲食目的の人々も増えてくる。アメ横周辺には昔からのすき焼き屋、うなぎ屋、ラーメン店、寿司店など沢山の飲食店があるが、近年増えているのが海鮮どんぶりの専門店だ。アメ横で仕入れたのかは解らないが沢山の魚介類のどんぶりが700~1500円くらいで食べられる。またもっと注目なのがJR線ガード下の一杯飲み屋さん。焼き鳥、モツ煮等を肴にみんな楽しそうに宴を開いている。特に若い女性グループや外人さんも増加している様に見受けられるが、みんな飲んでいる時は今年のうだる様な暑さも気にならない様子だ。まっ、生ビールがあれば暑さも関係ないかな。

2010年9月7日火曜日

変わりゆくアメ横!


佐竹商店街を春日通り口で出て御徒町方面に歩き出す。昭和通りを通過すると直ぐにJR御徒町駅だ。このJR山手線に沿って上野まで平行する路地が有名な『アメ横』だ。アメ横と言えば年末のテレビ中継で生鮮食材の買い物でごった返す光景を思い起こす。このアメ横は昔から生鮮食材を販売する店が道路の左右に延々と続き沢山の買い物客が集まる商店街として人気だ。ただ近年ちょっとした異変が起きている。生鮮品店が少しずつ減って、その代わり衣料品や靴等を扱う店が増えて来ているのだ。写真でも解る様に魚屋さんの前は靴屋さんでその隣が衣料品店だ。あと何年かすると年末の生鮮品買出しのテレビ中継も無くなってしまうかもしれない。ちょっと心配!

2010年9月6日月曜日

歴史と伝統の帆布製品。


佐竹商店街を歩いているとひときわオシャレな店を見つけた「工房HOSONO」だ。店の中を覗くとリュックやザック等の今流行の帆布製品が並んでいる。因にこの店驚く程の歴史と実績がある店だったのです。山の経験のある人なら絶対知っている『細野のテント』として有名なお店です。1912年の創業以来、帆布製品の製造、加工業として多くの登山隊(約80隊)、学術調査隊、南極観測隊(3カ国)、アラスカパイプライン等々多くの人々から支持されてきたのです。時代は大きく変わりこの製造技術を今風に活かしたリュックサックやバック、ブリーフケースは大変な人気です(私も欲しい)。遠い方はインターネットでも購入可能です。ちょっとお薦め!
工房HOSONO
http://www.hosono-jp.com/

2010年9月3日金曜日

佐竹商店街の伝統ある江戸風鈴。


佐竹商店街の中に珍しい「江戸風鈴」の店を見つけた。店の前のテーブルの上には笊が6枚並べられ各々珍しい風鈴が飾られている。透明なもの、スイカ模様等、流石に吊るされている訳では無いので音こそでないが見ているだけで不思議と涼しく感じられる。そう言えば子供の頃の昔に、縁日で買った風鈴を軒下に吊るし「チリ〜ン、チリ〜ン」と言う音を楽しんだ記憶を鮮明に思い出した。この江戸風鈴を作る『篠原風鈴本舗』は江戸川区の無形文化財保持者で東京都名誉都民である篠原儀治さんと家族が作る手作りの江戸風鈴なのです。そんじょそこらの風鈴とは音質が違うのでした。『篠原風鈴本舗』では江戸風鈴の体験教室等も実施していますので興味の有る方は下記ホームページにアクセスして下さい。もちろんホームページで購入も出来ます。
《篠原風鈴本舗の公式サイト》
http://www.edofurin.com/

2010年9月2日木曜日

昭和レトロの佐竹商店街と20世紀少年。


暑い日差しの中、鳥越神社を後にして今しがた通って来た、おかず横町を抜け右に曲がると、大きなアーケードが見えて来た。アーケード入口にはふくろうのマークを配した佐竹商店街の看板がある。ここ佐竹商店街は昔、秋田城主・佐竹右京大夫の江戸屋敷があったとの事。だから佐竹商店街の名称なのですね。アーケードは清洲橋通りから春日通りまで330メートルにも及びいろいろな店が並びます。因にこのアーケードは昭和44年の完成で当時は大変注目された商店街だった様だ。ただ今は昭和レトロのイメージが漂うどこか懐かしい商店街と言う感じ。所々シャッターの締まった店も有り、数百メートルしか離れていない場所に人でごった返す上野・アメ横があるとは想像もつかない。歩きながら「そう言えば映画の「20世紀少年」の主人公ケンジが夜のアーケードでギターを弾いたのはこの佐竹商店街だった。」と思い出す。

2010年9月1日水曜日

鳥越神社。初めてのお参り。


おかず通りを抜け暫く歩くと下町の町並みの中にこんもりした森が見えて来た。「ここが有名な鳥越神社だ!」何を隠そう鳥越神社の名前は知っていたが初めての訪れだった。「有名な割には以外と境内が狭いんだ。」などと心の中で囁く。鳥越神社は白雉2年(651年)に日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まると言う。「前九年の役」(平安時代後期の奥州を舞台とした戦役)には源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)が有名で千貫神輿は都内最大級を誇るらしい。お参りをした後、暫く境内を散策しちょっと一休みして今来た道をもどりだした。