2011年8月1日月曜日
歴史を生き抜いたあの「本郷館」が解体される。
本郷は日本最初の大学・東京大学があり明治の昔から多くの文人・学人が住んでいた場所でもある。そんな理由と一部戦災を免れた場所もあり、本郷界隈を散策するととても古い家屋に出会うことがある。現存する木造3階建ての家としては最古と言われる「本郷館」もそのひとつだ。ワイズでまとめているホームページの「web本郷界隈」をそのまま紹介すると「東京大学の正門前の横町を西に入ると広場がある。旧森川町で、岡崎藩主本多家の敷地であった。広場の西側に本多家の祖先を祀る映世神社があった。それでこの広場一帯を宮前といった。広場に入る左側に格子のある古い木造の建物がある。明治未ごろの建造で元加賀蔦の頭の住居であった。旧森川町は石川啄木の蓋平館(現太栄館)などの下宿屋が多く二葉亭四迷・宇野浩二・徳田秋声などの文人も多く住んだ。書生の町、文人の町であった。本郷舘は、明治38年建築で延べ1422平方mの大規模のものである。当時は東大に通う留学生や地方からの資産家の子弟が入り本郷きつての高等下宿であった。現在はアパートになっている。かつての下宿街森川町のシンボルであった。ただ現在取り壊しの計画が有る」となっている。この文末の「ただ現在取り壊しの計画が有る」がとうとう現実になってしまった。ワイズスタッフが7月28日付けの毎日新聞を持参した。社会面の2段の記事には「下宿「本郷館」歴史に幕」との見出しで、本郷館の歴史や地元の有志が保存の望んでいろいろと保存活動をしたが、叶わずに8月1日からいよいよ解体が始まると記されている。私としてはこの様な歴史在る貴重な建造物が解体されてしまうことは大変悲しいことだと思う。震災や戦災からも免れた「本郷館」だったが押し寄せる開発の波に前には脆くも崩壊してしまうことになる。今でも何とか保存が出来ないかとの思いである。昨夜解体前の「本郷館」を訪れた。見るも無惨に建物の周りには工事フェンスが張り巡らせれている。小さなストロボの光で照らされた「本郷館」は悲しそうな表情をしている時代を生き抜いた「生きもの」のような感じがした。
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