2011年9月28日水曜日

コレド室町の焼き魚屋さん。


ブログの読者から「食べ物の話が多い!」とよくご指摘を受けます。ですが結構忙しく仕事をしているとプライベートの時間が少なく楽しみと言えば「食べる事」なのです(だからデブになるのだ)。あまり高価な食事は出来ませんがそれでも外食に掛かる金額は結構多いと自覚しています。今日のお話は庶民的な焼き魚定食です。先般も日本橋のコレド室町のことを書きましたが今回は同所にある「日本橋 紀ノ重」です。近代的なビル・コレド室町のエスカレーターに乗り2階で下りると「えっ、ここがビルの中?」と疑うような店造りに圧倒されます。ガラス張りの囲炉裏?では炭火で美味しそうな魚を焼いています。店内に入ると木材で作られた頑丈そうな椅子とテーブルが並んでいます。どこかの漁港にある定食屋さんの雰囲気が漂います。ここ「日本橋 紀ノ重」は昔、日本橋に魚河岸があった慶長年間から仲卸として営業していた老舗のお店だそうです。今は長年培った目利きを活かし新鮮で旬な魚を種類豊富に仕入れ、刺身にしたり、焼いたり、煮たりして多くのお客さんに日夜提供するお店になっていたのです。要するに魚と日本酒の和食居酒屋と理解下さい。今回は昼間と言うこともあり「特大アジの原始焼き定食」(名前は定かでは無い)をオーダー。何と言っても炭火で焼いた魚の味は最高であっという間に完食でした。それにしてもテーブルに座っていると日本橋のビルの中に居ることを忘れさせるお店でした。

日本橋 紀ノ重 ~COREDO室町~
東京都中央区日本橋室町2-2-1 コレド室町2階
03-3548-9917

2011年9月20日火曜日

昔ながらの洋食屋「厳選洋食さくらい」。


本郷3丁目から春日通りを御徒町方面に向かうと途中に湯島天神がある。湯島天神の切り通し坂を下りると天神下交差点となり、更に歩を進めると上野広小路交差点まで到達する。歩くこと10分ほどだが下り坂のせいか実際に歩いた時間より短く感じる。この上野広小路交差点よりちょっと手前のビルの7階に、昔ながらの洋食屋さんとして多くの人から親しまれている「厳選洋食のさくらい」がある。店のあるビルのエレベーターに乗り7階に着きドアが開くと、直ぐに受付カウンターがあり元気の良い「いらっしゃいませ」との挨拶を耳にする。通されたのは7階フロアの中心にあるスケルトン仕様の階段を上った8階テーブル席だった。窓側に座れれば眼下に上野広小路の町を見ながら食事を出来たのだが、残念ながら奥まったテーブルだった。ここ「厳選洋食のさくらい」のこだわりは「高級な食材を吟味するだけではサービス向上とは限らず、リーズナブルなお値段の中で厳選された食材や味を提供すること」をモットーとしている庶民派の洋食レストランだったのです。スタッフも家族を中心にしたメンバーとかで親近感も感じてしまいます。今回オーダーしたのは「洋食コース」だ。前菜3点セットにロールキャベツ、カニコロ、オムライス食後のデザート、コーヒーまで付いて庶民価格の税込3000円だ。運ばれてくる料理はひとつひとつ丁寧に作られどれも味がしっかりしていて「美味い!」。本当に昔食べた洋食屋さんの味だ!またこの日は暑かったので出された水を何杯もおかわりしてしまったが、水が無くなると直ぐに気づいて注ぎにきてくれる当たり前のサービスにも感激でした。ワイズにおいでのついでに是非お訪ね下さい。

厳選洋食のさくらい
東京都文京区湯島 3-40-7 受付7F
03-3836-9357

2011年9月14日水曜日

久々に神田・古本街を歩く。


久々に靖国通りに面した古本街を歩きました。昔ながらの店構えの店頭にワゴンを出しその上に古本を積んでいる光景は本にとって古き良き時代を連想します。店の中を覗くと更に古本が書棚一杯に収納されています。実はこの古本屋さん、お店により特長があり○○書の専門、△△書の専門などがあるのです。そんな中にショーウインドウの中に「お化け」や「妖怪」関係の書籍をディスプレイしている本屋を発見。「えっ!妖怪専門書店?」と不思議に思いましたが時間の関係で店の中には入れず確認が出来ませんでした。次回は是非確認したいと思います。今回の古本街の歩きで気付いたことは(1)古本屋さんの数が減ったのでは?(2)美術書等がやけに安くなっている?(3)新品本の中に自由価格本なる扱いが増えている?などでした。因みに今回「荷風流 東京ひとり旅」なる1700円の本を自由価格本として650円で購入しました。そう言えば荷風の時代には神田・古本街はもっと活気があったのでは?とも想像してしまいました。

2011年9月8日木曜日

東大法学部3号館工事壁に東大キャンパスの歴史が! 


東京大学法学部3号館では耐震工事を行っている。今までにも各学部様の耐震工事をしているのでその一環と思われる。素人目からも見て、日本で最初の大学である東京大学は建造物も文化財としての価値があり、その文化価値を損なわずに耐震工事をするのは大変な労力と費用が必要と推察できる。少なくても明治からの建造物の外観だけでも維持してほしいと思うのは皆一緒の様である。さてこの工事用の為に建物を囲むように工事壁が巡らされている。ただこの工事壁はちょっとした工夫があり、明治13年の東京帝国大学(東大)の創設から近年までのキャンパスの変遷を沢山のイラストで説明しているのである。写真の明治13年のイラストと比較して今のキャンパスに近い昭和41年のイラストでは大きな違いが見られる。こんな耐震工事をしなければお目にかかれない貴重な資料ですから是非この機会にご覧になるのをお勧めします。東京で手軽な散策が出来るのも東京大学の魅力と思います。ついでに安田講堂前の地下にある学生食堂で東大生と一緒にランチをするのも良いかも。

2011年9月7日水曜日

明治の灯り「本郷館」解体される。 


今月初めのブログで紹介した明治時代の木造3階建ての「本郷館」が解体されてしまった。明治に建築された高級下宿「本郷館」は東京大学(帝大)の近くと言うこともあり、二葉亭四迷・宇野浩二・徳田秋声など多くの文人や学人などが住んだ歴史ある建物で現存する木造3階建ての家屋としては最古とされていた。また近年でも歴史を愛する若い人(東大生等)からの入居希望もあったと聞く。ただ安全性の問題などから入居が不可能となってしまったのが解体の理由とされている。本郷館解体の報に多くの人から移築保存の希望もあり、私も個人的には移築希望であった。ただ今回解体された本郷館のあまりもの大きさ(規模)を目の当たりにし、素人ながら「これは移築保存は無理!」を実感した。この本郷館が建築されたのが明治38年だから今年で106年になる。部屋数70室で1人が4年住んだとして1900人弱の人々の歴史(人生)がこの「本郷館」に凝縮されていたのだと思うと解体された建物の残骸を見ながら複雑な気持ちになってしう。

2011年9月5日月曜日

江戸の起点は日本橋。日本橋の道路元標は・・・。


今日も日本橋の話です。皆さんご存じの通り日本橋の上には首都高速道路が通っています。そもそもこの高速道路ですが1964年の東京オリンピック開催に向けて造られた道路ですが、この光景はお江戸日本橋から続く景観を壊しているという声が上がり、小泉首相の時代に有識者が集まり「日本橋景観再生」と銘打って高速道路を地下に移設し景観再生をしようと方向性が示されました。ところがこの費用が4~5000億円かかるとも言われています。果たして日本橋の景観はどうなる事やら・・・?話は若干それますが、皆さん日本橋には明治時代に定められた道路原標なるモノがあるのをご存じですか?要するに東京(日本)の道路起点となるもので東京の道路のおへそ(中心)と理解下さい。この日も日本橋の「日本国道路原標」と記されたモニュメントの前で数人の人が集まり「ここが道路に起点だ!」「ここが日本の道路の中心点!」等と話していました。ところがです皆さんこのモニュメントをよく見ると「道路原標複製」とあります。皆さん見逃してしまうのですが実はこれは道路原標のレプリカなのです。それでは本物は何処にあるかというと写真様に日本橋中心の道路に埋設されていたのでした。きっと道路の真ん中ではこれを確認しようとする見学人が危険と言ことでレプリカを造ったと思います。今度皆さんも注意してみて下さい。因みにこの道路原標の文字は元総理大臣の佐藤栄作さんによるものだそうです。何につけ新旧混じった日本橋は今注目ですよ!